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ある男の野望

仮説実験授業とは何か
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仮説実験授業との出会い

ある男は,1981年4月1日(水)に小学校の教師になりました。4月2日(木),ある小学校の6年生の担任になりました。受け持った子ども達に,たくさんの知識を教えたい、賢くなってほしい,とある男は思いました。ある男は,学級通信を出したり、土曜日の放課後学習会を開いたりしましたが、子どもたちの反応は自分が期待していたようなものではありませんでした。

それどころか反対に「子ども達にとって,私の授業はつまらないのではないか」と、ある男には思え始めたのです。次第に,ある男にはどんな授業をしたらいいのか分からなくなりました。ある男は,一生懸命子ども達に教えていたのですが、どんな授業が良いのか分からないまま、ずっと教師を続けていました。「良い授業とは何か」と悩んでいた間に、教育関係の本を読んだり、いくつかの研究会に参加して勉強したりしましたが、これだと言える方法は残念ながら見つかりませんでした。そんな中,ある男と<仮説実験授業>との出会いは,突然やってきます。

【言葉の意味】
<仮説実験授業>とは,1963年に科学史研究者の板倉聖宣(いたくら きよのぶ)氏が提唱した、科学の基礎的な法則を楽しく体験しながら学ぶ授業理論です。「問題・予想・討論・実験」のステップを繰り返すことで、子どもたちが自ら考える力を養うことを目的としています。

4年後、ある男は同じ市内の北部にある別の小学校に異動となりました。そこにN先生がいたのです。

ある日の放課後、N先生は職員室にたまたま居合わせた数人の同僚に問題を出しました。

  • ここに割れたレンズがあります。これを使って職員室のこの蛍光灯の光を集めることができますか。もし光を集めることができたら、どんな形になりますか。

という問題でした。

小学生のころから,ある男は理科が好きだったのですが,「予想するのがちょっと難しいなー」と,思いました。そして,

「割れたレンズでは光は集められない。仮に集めることができたとしても円い形になるに違いない」

と,答えました。その場に居た先生たちも各自いろいろ予想しました。あなたは,どう思いますか。

予 想
ア.蛍光灯の光を集めることができる
イ.蛍光灯の光を集めることができない
ウ.その他の予想(あなたの考え)
  • 仮に蛍光灯の光を集めることができるとしたら,どんな形になるでしょうか。
予 想
A.丸い形に集まる
B.蛍光灯の形に集まる
C.割れたレンズの形に集まる
D.その他の形(絵で描いてください)

その後、N先生が実験しました。

あなたは,どうなったと思いますか。

実験の結果、割れたレンズは蛍光灯の光を集めることができました。

光が集まった形は、蛍光灯の形そのものだったのです。まるでカメラで撮った写真のように!

ある男は実験結果に驚き,「私の予想は,間違いだった。私が受けてきた授業は良かったのだろうか」と,思いました。この問題は、仮説実験授業「光と虫めがね」の中にある問題に関係しています(問題そのものでは,ありません)。こうやって,ある男は仮説実験授業に出会いました。

仮説実験授業とある男

次の年の5月、ある男は京都のあるホテルで開催された「たのしい授業への招待」という名の仮説実験授業セミナーに参加しました。その場で<自由電子が見えたなら>というタイトルの仮説実験授業を自分が生徒として授業を受けました。授業を受けながら,ある男は,この授業に感動していました。授業の内容のすばらしさに感動していたのです。ある男が授業を受けて感動したのは,生まれて初めての経験でした。ある男は、自由電子を自分の目で本当に見ることができたのです。そして、自由電子の<はたらき>を生き生きと学ぶことができたのです。ある男は「仮説実験授業は本物だ」と,確信しました。

それからは,自分のクラスで<仮説実験授業>を実践していきました。実践した内容を授業通信としてクラスの子ども達と保護者にお知らせしました。授業通信は最後に冊子にしてまとめて子ども達に配布しました。子どもたちは,仮説実験授業を大歓迎してくれました。ある男は,退職するまで自分のクラスでずっと実践しました。実践する中で、どうしてこんなに素晴らしい授業が日本で広まらないのだろうか,とある男は考えるようになりました。

その理由について、仮説実験授業が今までの教育の常識とかけ離れているからではないか,とある男は予想しました。例えば、仮説実験授業では授業の良し悪しの評価は子どもたちがします。<教師は自分の授業の評価をしません。教師は授業の評価を子どもに聞かなくてはいけない。>というのが仮説実験授業のスタンスです。授業をする上では、仮説実験授業の授業書に沿って,そっくりそのまま進めなくてはいけません。授業書というのは、仮説実験授業を進めるための学習書や作業書・指導書のようなものと考えてください。教師が、教え方や授業内容を考えるという余地は一切ありません。教師が,自分なりに授業をアレンジしてはいけないのです。自分で創意工夫しなければならないと考える教師が多いなかでは、仮説実験授業は異質の授業となります。日本の文科省が出している教科指導の基本的な指導内容が書かれている学習指導要領と関係ない形で授業書がつくられていることも大きな理由かもしれません。授業書は、「子どもたちに何を教えることが大事なのか」について一から考えるところから出発しています。日本には仮説実験授業研究会があります。仮説実験授業研究会には、約900人の会員が在籍しています。日本全国の総教師数をおよそ百万人とすると、仮説実験授業を日々実践している教師は,かなり少ない人数です。

海外での仮説実験授業

ある男は,小学校で教師をしていたので、自由に長期間時間がとれるのは夏休みしかありません。「自分が少しだけできる英語を使って授業ができる国は,南半球にあるオーストラリアしかない」と,ある男は考えました。

仮説実験授業研究会の数人の仲間と共に,オーストラリア・アデレードのある小学校である男が授業をしていたときに、数子(仮名)さんに出会いました。彼女は、その小学校の教育実習生でした。そこで、ある男は彼女に,

「あなたが現地の小学校で先生になったら、その学校で仮説実験授業をさせてほしい」

と,お願いしました。ある男は、<仮説実験授業>「ものとその重さ」の授業を海外の普通のクラスで実施してみたかったからです。

数年が経ちパースにある公立小学校で,ある男は仮説実験授業ができるようになりました。数子さんは、その学校で日本語の教師として勤めていました。数子さんは、5年生担任のケリー(仮名)を紹介してくれました。ケリーは明るく親しみやすい女性でした。彼女は心やすく,ある男が自分のクラスで授業をすることを快諾してくれました。2014年8月のことです。彼女に6時間をいただき、ある男は仮説実験授業「ものとその重さ」の授業をすることができました。そのときの子どもたちのフィードバックは,ある男にとって忘れられないものとなりました。日本への帰りの空港で子どもたちの感想を読み返して、仮説実験授業の素晴らしさの余韻に浸っていたのをついこの前のように,ある男は思い出します。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

仮説実験授業「ものとその重さ」を受けてのトーマス(仮名)が書いたフィードバック(評価及び感想)がこれです。

  • I found these lessons very enjoyable! These lessons were very interesting. I found out a lot more about weight than I already knew. It seemed like at first that“Oh we’re doing weight so what? I already know that stuff”, but then when we started it was so interesting and I found a lot out!           Thomas(仮名) 5

彼は「重さについては学習していて、すでに知っている。だから何で?」と思ったそうです。しかし、私の授業で多くのことを学んだと書いています。彼が何を学んだのかは書いてないので残念なのですが、彼は重さについて一度学習したにもかかわらず、もっと多くのことを学んだことになります。しかも、彼はとても楽しく学んでいます。名前の後に数字の5が書いてあります。トーマス(仮名)が「この授業がとても楽しかった」を選んだことがわかります。

このことは子ども達にとって仮説実験授業が従来の授業よりも程度が高いことを意味しています。授業の程度が低いと子ども達は学ぶことに飽きてしまうのです。遠い日本から来た先生に対してお上手を言っているのでしょうか。そんなことはありません。それは、日本の子ども達のフィードバック(評価及び感想)とすごく似ているからです。オーストラリアでも子どもたちの評価は日本の子ども達とほとんど同じだったのです。

ある男はうれしくなって、この結果をすぐに校長先生に見せました。校長先生には、「素晴らし授業ですね」と言ってもらえるかなと思ったのですが、残念ながらある男が期待するような反応ではありませんでした。これまた日本の一般の先生達と同じような反応だったのでがっかりしました。

世界中の先生達に伝えるのに一つの実践だけでは信用されないとある男は考えました。そこで、もう一つ事例が欲しいと考えアメリカで授業をすることにしました。たまたま、学校の同僚の友だちがミシガン州の私立小学校で先生をしていたのです。その先生に連絡をとって、アメリカのミシガン州の小学校で授業をする機会に恵まれました。私立のN小学校です。5年生と3年生に「ものとその重さ」の授業を実践することができました。N小学校では、英語と日本語の2言語で授業をしています。そこで、ある男は日本語で授業をすることにしました。そのクラスに日本語があまり得意ではない子どももいたりして、ある男にとって子ども達に分かりやすく授業を進めることはかなり難しかったようです。最後に授業のフィードバック(評価及び感想)を全員に書いてもらいました。仮説実験授業<ものとその重さ>の授業を受けた3年生はるな(仮名)さんの感想です。

  • 「ものとそのおもさ」のじゅぎょうは、とてもたのしかったです。1ばんたのしかったことは、サントリオ・サントロのはなしをせんせいが読んでくれたことです。とってもたのしいじゅぎょうでした!!!!  はるな(仮名) 5

オーストラリアとアメリカの小学校、3クラスとも仮説実験授業に対する<楽しさ度>を聞いています。仮説実験授業では、子ども達の授業に対する<楽しさ度>を必ず聞くことが基本のルールです。授業の成功の良し悪しは、子どもに聞くことによって判断します。これがN小学校5年生の私の授業に対する楽しさ度です。

5年生の最後の感想(計12人)
5.とても楽しかった     10人
4.楽しかった         2人
3.どちらともいえない     0人
2.つまらなかった       0人
1.ぜんぜんつまらなかった   0人
とても楽しかった、あるいは楽しかった、合わせて12人、つまらなかった人はいません。
N小学校3年生の私の授業に対する楽しさ度です。
3年生の最後の感想(計25人)
5.とても楽しかった     17人
4.楽しかった         5人
3.どちらともいえない     3人
2.つまらなかった       0人
1.ぜんぜんつまらなかった   0人
とても楽しかった、あるいは楽しかった、合わせて22人、どちらともいえない人は3人、つまらなかった人はいません。
これがパースのある小学校5年生(2人欠席)のある男の授業に対する楽しさ度です。
5.とても楽しかった。   21人
4.楽しかった。       3人
3.どちらともいえない。   0人
2.つまらなかった。     0人
1.とてもつまらなかった。  0人
とても楽しかった、楽しかった、合わせて24人、つまらなかった人はいません。

この3クラスの子ども達は、「ものとその重さ」の授業を楽しんでいることがわかります。

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授業最後の日、N小学校の先生や校長先生の前で<仮説実験授業>について話をする機会を得ました。話し終えたあと、またしても私が期待していたような反応は得られませんでした。自分は、<仮説実験授業>は素晴らしいし、授業科学を創造できていると思っているのですが、なかなか認めてもらえませんでした。

それにしても英語力がそんなに高くない私が、外国の2つの小学校で3年生にも5年生にも、なぜ授業ができたのでしょうか。それは、仮説実験授業には<授業書>があるからです。この<授業書>があるから、熱意のある先生であれば、だれでも<仮説実験授業>ができることになります。<仮説実験授業>をすれば、いつでもどこでも同じような期待する結果を得ることができるのです。そうです、板倉聖宣は,授業を科学として創造することに成功したのです。これから先、仮説実験授業が少しずつ広まっていく間に、世界中の教育関係者によって検証されると考えています。仮説実験授業が授業科学であるということについてです。検証された後に,仮説実験授業は,授業科学であることが証明されるはずです。

仮説実験授業を提唱した板倉聖宣は,科学者が長い時間をかけて発見した法則や概念を歴史から学びました。科学者はどうやって法則や概念を発見したのか、どんな視点を持ちどんな考え方をしたのか詳しく研究しました。その研究成果を授業という形に変えて教育の世界に持ち込むことに成功しました。

ここに「ものとその重さ」という<授業書>があります。ある男はこの授業書に沿って授業をしました。英語があまりできないある男が,<授業書>のおかげで授業を進めることができました。つまり、どの先生が授業をしてもこの<授業書>があれば、安心して授業を進めることができるということです。しかも、子ども達は科学の内容について感動をもって学ぶことができるのです。

<仮説実験授業>ではない普通の一般的な授業は、今まで科学ではありませんでした。教える先生と内容によって授業の結果が大きく異なることが多かったからです。しかし、この<授業書>によって、先生による教え方を同じように統一できるようになりました。

例えば<ものとその重さ>という授業書で説明することにします。授業書には,具体的な問題があります。問題について,予想の中から自分自身の答えを選びます。クラスメイトの予想と比べます。理由を発表して,討論が起こる場合もあります。そして実験してどの予想が正しいのかを確かめます。いくつかの関連する問題を解いていくと何となく自分の中に<例えば、重さはモノの形が変化しても変わらないようだ>みたいな仮説のようなものが芽生えます。一連の問題群によって科学者が発見した法則のプロセスと同じようなことを子ども自身が経験することになります。自分の考えで,実験結果を間違えてしまう場合は、自然と自分の考えを変えていくことになるでしょう。「どういう考え方が正しい」のかということは1つ1つの実験で確かめていくことができます。

一連の問題群を解くことによって、例えばガリレオのような考え方ができるようになるのです。決定的に大事なことは自分で予想して、自分で実験結果を知り,自分の認識を改める(または,改めない)ということになります。また、「仮説実験授業」では討論が行われます。どんな意見であろうと最後は実験で決着がつきます。なので、子どもたちはいろんな意見を大事にするようになります。一人ひとりの考えの良さに気づき,他人のすばらしさに気づくこともができます。

世界中のすべての学校で<仮説実験授業>が実施されるようになれば,おそらく自他のよさに気づくようになり,自分に対して自信が持てるようになり,いつのまにか【仮説実験的認識】を体得できるようになると考えます。繰り返しになりますが、人間にとって決定的に大事なことは、自分で予想して、自分で実験結果を知るということです。このことによってのみ「真実」を手にいれることができます。これが【仮説実験的認識】です。わずかな一歩ずつではありますが、仮説実験授業が広まるにつれて,<授業科学>が認知されるのと同じように,【仮説実験的認識】によって世界平和は実現されていくと堅く信じています。