
アメリカと中国の覇権争いが始まって、数年が経ちます。この争いは、ソ連の崩壊のように、どちらかが崩壊するまで続くそうです。

日本国内では、一般的に「中国や北朝鮮はもうダメだ」と言われながらもどうもなっていません。国力も衰えていないように見えます。これから先、どうなるのかは分かりませんが、アメリカの国力が相対的に落ちていることだけは、GDPの金額やパーセンテージなどからなんとなく分かります。

5Gの争いの結果もありますが、日本はどうなるのだろうと考えてしまいます。エマニエル=トッドが指摘したように日本には世界を覇権するような力も考えも持っていません。

日本は大東亜戦争の敗戦国として、GHQによって日本国の文化・歴史・教育などを自立できないような仕組みを作られました。そして、その仕組みが70年あまり続いてきました。しかし、今やネットの普及によって日本社会のおかしいところが一般の市民にも理解されつつあります。

その一つが、WGIPです。WGIPは、ウォーギルトインフォメーションプログラムの略です。これによって日本国は改革されてきました。それは、陰謀論ではなく実証的資料に裏打ちされた本物です。その内容は、

その結果、アメリカの占領政策と教育がつながっています。GHQは、戦前の反政府主義者を学会や教育界、法律会に送り込んだらしいのです。その後、反日活動を続けている人もいます。慰安婦問題、靖国問題は日本人が発信して日本に持ち込んだものだそうです。本当のことは分かりません。

これから先の世界の動向によっては、日本が敗戦国から立ち上がるきっかけになるかもそれません。

私の願いとしては、国として自立して欲しいです。アメリカの属国として軍事はすべてアメリカに任せて経済的に発展してきました。ただ、この30年ほどは、経済的に全く発展していません。

国が発展しようがしまいが、私たち一般市民にとって個人の暮らしや人権を守ることが大事であることは言うまでもありません。それは、日本国がどうのこうのと言う次元とはまったく違うものです。

つまり個人と国のあり方はリンクしているのですが、それはお互いに持ちつ持たれつの関係のような気がします。市民一人ひとりが集まって国の形ができるのですから、当たり前と言えば当たり前です。

個人が考えることが国政に影響を与えることも当たり前です。国への影響が選挙を通してというところがミソになります。票の多いところが有利に国を動かすことになります。年代別により考え方は変わってくるだろうし、そういう意味で日本は階層社会だろうと思います。

また、行政として国を動かしているのは官僚になります。官僚と一般の人たちの考え方にも大きな隔たりがあるように思います。官僚は,自分たちの利益のこと優先的に物事を考えがちだと私は思っています。

つまり、何を言いたいかというとどんな時も個人の幸せを大事にする国であって欲しいということです。楽しく生き甲斐をもって生きられる、今は無理であっても将来はそんな国になって欲しいと思っています。

そのためには、一人ひとりがしっかり働いて、何が良いのか自分の頭でしっかり考えなくてはいけません。そのときの考え方の基本というか、よりどころになるのが自分の哲学になると考えました。

もうひとつ大事なことが正しい情報です。これから先,世界は情報操作社会に進んでいくかもしれません。今、考えなくては大変なことになるかもしれません。ならないかもしれません。未来は誰にも予想できません。

世界の正しい情報に関しての話は次回にするとして、今回は、自分の哲学を作るのに板倉さんの頭を使って考えてみます。

p.46 から以下,抜き書きします。

p.50 から以下,抜き書きします。

そこで、自分の哲学を作るために2つのことを自分なりに考えました。
1.原理原則で考える

※アメリカと中国が覇権争いをしているけれども、個人を尊重してね、という話です。この辺のところは国と個人の関係があるので、しっかり考えないと答えが出なくなります。
2.真理を決める仮説実験

消費税が10%になりました。「日本の経済の発展が止まったのは、消費税が始まった年からだ」と主張する学者がいます。これは本当かもしれませんし、嘘かもしれません。実験してみないと分からないということです。

ただ、官僚と政府が考える今の経済の仕組みは失敗していると言っていいのです。アベノミクスも失敗しています。デフレは、収まっていないからです。ということは続ける意味がなく、他の方法を考えて実践しなくていけないことになります。

仮説実験的認識が広まれば、私は、世界は平和になっていくだろうと思います。少なくとも戦争は無くなるだろうと予想しますが、どうでしょうか。

板倉さん自身が、仮説実験的認識論のすばらしさを力強く書いています。「世の中を変えていきたいなあ」そのためには、仮説実験授業を広めることが一番の近道です。あー、仮説実験授業を広めることはできないでしょうか。数百年単位による時間にたよるしかないのかなあ・・・。しかし、そうだとしてもしょうがないです。気長に待ちましょう。

※世界の戦争は、人間の遺伝子レベルからくる行動形態によって、なくすことは不可能なのかもしれません。仮説実験授業が広まることによって世界平和を達成できるのか、本当のことは分かりません。

哲学の考え方はいろいろあるのでしょう。
武田さんが言っていたのを次に書いてみます。
日本人の哲学の弱さ(武田さんのYouTubeから)

飛行機の安全の哲学は、日本にない。日本は、全てアメリカのものを学んでいる。日本では、原子力発電の安全の哲学もない。

福島原発事故は想定外の事故であったといわれるが、事故は想定外が当たり前で予想できないものである。安全対策のための安全では、安全にならない。<原発が安全である>という哲学は、ヨーロッパとアメリカでつくられた多重防御と固有安全性である。想定外のことが起こっても安全であるということが保障されていないといけない。

多重防御と固有安全性とは、地震とか津波とか具体的なことは想定していない。何かが起こった場合の安全対策をしないということだ。例えば、そのために独立している電源を4つ作っておく。固有安全性とは発電所の温度が高くなると温度を低くするように発電所自体が自然に安全の方向を向くようにするというようなことである。

日本の安全哲学は壊れて、例えば津波対策などの対策安全になってしまった。例えば10mの堤防を築けば原発は大丈夫だ、などである。技術の安全は哲学がないとできない。

※飛行機や原発などの安全性についての哲学は日本には無いそうです。日本で旅客機を製造する場合は、アメリカの安全性の認可を受けて飛べるようになるそうです。三菱の飛行機MJS?はかなり苦労しています。→MJS?は,2023年時点で失敗してしまいました。

原発に関していうと福島原発では非常用電源が3つとも地下にあったそうです。豪雨が多い、台風が多い、地震が多い国でこんなことはあり得ないでしょう。日本の原発の安全性は、アメリカの原発から学んだようです。(浸水が考えられるのに)原発の地下に電源があることが信じられないし、電源の位置をかえることもできない東京電力はこれから原発を動かす能力があるとは思えません。

p.466 から抜き書きします。

なんとなく、原発の助成金と同じような構図のような気がします。原発は安全だといいながらお金をばらまき、しかも安全は嘘であったというのは何でしょうか。

もしかして、日本人はまったく成長していなのかもしれません。これは、政府や官僚が悪いのでしょうか、民衆がだめなのでしょうか。少なくとも日本人には、哲学が無いのではないか、何が大切なのか理解できない民族なのか,と考え込んでしまいます。

だがしかし、正しい情報さえ教えてもらえたら、少なくとも正しい判断を選ぶ根拠が手に入ることになります。70年前も今も正しい情報が国民の一人ひとりに与えられていないことが大きな問題なのかもしれません。

最後まで読んでいただき,ありがとうございました。

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