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中一夫編著『日本の戦争を始めた人々』(ほのぼの出版2024年10月9日発行)の紹介

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サークルレポート
Hiro
Hiro

中一夫さん編著『日本の戦争を始めた人々』,この本の裏表紙に次のような文が書かれています。

 なぜ 戦争が始まってしまったのか?
 どうしたら,開戦が防げたのか?
 最も戦争を主張したのは誰か?
 開戦に反対した人はいなかったのか?
 そして,日本はアメリカやイギリスに勝てると思ったのか?
 戦争を防ぐために,戦争に至る<法則>を探る
Hiro
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それぞれの問いに,あなたならどう答えますか。これらの問題について,これから探っていくことにしましょう。

Hiro
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いつもと同じようにいくつかの問題を解きながら,戦争の開戦の本質に迫っていきたいと考えています。よろしくお願いいたします。

Hiro
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 この本の<はじめ>には,次のような文章が載せてあります。そのまま抜き書きします。

 終戦時には「最高戦争指導会議」でも閣議でも,降伏と戦争継続で意見が対立し,最終的に天皇による「聖断」により終戦が決定しました。それでは,開戦の決定のときは,責任者たちの意見は一致したのでしょうか?それとも終戦の時のように分かれていたのでそうか?
Hiro
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 次の①と②の問いについて考え,選択肢の中から一つ答えを選んでみてください。

①開戦には全員が賛成したか?
ア.全員が賛成。
イ.賛成が多数。
ウ.賛成と反対と,ほぼ同数。
エ.反対が多数。
②開戦の決定はどのようになされたのか?
ア.全員一致で自然に決まった。
イ.多数決で決まった。
ウ.意見が分かれたが,軍部や首相が強引に決めた。
エ.意見が分かれたが,天皇の決断で決まった。
オ.審議をへることなく,突然決まった。
Hiro
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あなたは,どうだったと思いますか?

Hiro
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 じつは,その時の決定は,「全員一致」でした。大本営政府連絡会議でも内閣の会議でも同じで,そこには天皇の聖断も軍部の意見の強要などもありませんでした。議論の余地なく,皆,「戦争しかない」と思ったのです。

Hiro
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 それは一体なぜでしょう? 日本はアメリカやイギリスに勝てると思ったのでしょうか? 開戦当時の人々はいったい何を考え,その戦争を始めたのか?――それは日本の戦争の最も大きな謎とも言えるでしょう。

Hiro
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天皇は,終戦のときには「戦争終結」という英断をしています。戦争開戦当時,天皇は終始一貫戦争反対でした。それにも拘わらず,天皇は開戦のときは「戦争開戦回避」という英断をしていません。それは,どうしてでしょうか?

Hiro
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もし,天皇が「戦争回避」の英断をすれば,戦争をせずに済ませたのではないでしょうか。天皇が英断をしなかったことについては,天皇なりに深い理由があったのです。

Hiro
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ここで,問題です。

問題1.天皇が「戦争回避」の英断をしなかった理由は何でしょうか。次の選択肢から1つ選んでください。
   予 想
ア.天皇が「戦争回避」の英断をすると,日本国内で内乱が起こる可能性があったから。
イ.天皇が「戦争回避」の英断をすると,日本国の権威が失墜し,支那事変の完遂(かんすい,言葉の意味:完全にやりとげること。最後まで遂行すること。)ができなくなるから。
ウ.天皇が「戦争回避」の英断をすると,東アジアでの日本の在立が危機に陥るという結果になるから。
エ.その他

Hiro
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正解は,ア.日本国内で内乱が起こる可能性があったから,になります。率直に考えると,天皇の英断に対して<なぜ日本国内で内乱が起こるの?>という疑問が起こります。その疑問に答えるために本書p.167の最後の4行から抜き書きします。

天皇の判断
近衛内閣の時に行われた御前会議などでは,かなり明確な平和への願いを訴えた天皇も,このときの御前会議では何も言わずに終わりました。このとき開戦を認めた天皇の真意はどこにあったのでしょう?
終戦時には<聖断>としてはっきりした自分の意見を述べて戦争を終わらせた天皇は,のちに「開戦時に開戦反対を言わなかった理由」を,次のように述べるのです。
開戦の時に,東条内閣の決定を私が許可したのは,立憲政治下における立憲君主としてやむを得ない事である。もし自分が好む所は裁可(天皇が許可すること)し,好まない所は裁可しないとすれば,これは専制君主となんら違わない。
しかしながら,終戦の際は,これとは事情を異にしていた。議論がまとまらず,鈴木総理は議論分裂のままその裁断を私に求めたのである。
そこで私は,国家・民族のために自分が信じる所によって,事を裁いたのである。
今から回顧すると,最初の私の考えは正しかった。陸海軍の兵力の極度に弱った終戦の時においてすら無条件降伏に対しクーデター様のものが起こったくらいだから,もし開戦の会議決定に私が「ベトー」(拒否権行使)を行なったとしたら,一体そうなったであろうか。
日本が長年錬成を積んだ陸海軍の精鋭を持ちながら,いよいよという時に蹶起を許さないとしたら,時のたつにつれて,だんだん石油は無くなって,艦隊は動けなくなる。人造石油を作ってこれを補給しようとすれば,日本の産業をほとんど全部その犠牲としなければならない。それでは国は亡びる。そうなってからは,無理な注文をつけられて無条件降伏となる。
開戦当時における日本の将来の見通しは,このような状態であったのだから,私がもし開戦の決定に対して「ベトー」したとしよう。国内は必ず大内乱となり,私の信頼する周囲の者は殺され,私の生命も保証出来ない。それは良いとしても,結局,凶暴な戦争が展開され,今回の戦争の数倍もの悲惨なことが起こり,しまいには終戦も出来ないことになり,日本は亡びることになったであろうと思う。―――寺崎英成/マリコ・テラサキ・ミラー編著『昭和天皇独白録』(文芸春秋1995)
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何ということでしょうか。戦争は天皇でさえ回避できなかった。しかし,開戦の決定がされるまでには,何か大きな理由があったに違いありません。

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日本政府――近衛内閣に関係する人々や責任ある人々,陸軍・海軍もアメリカとの戦争をなんとしても避けたいと考えていました。アメリカと戦争になれば日本が負けることは責任ある人々には,わかっていたのです。

Hiro
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戦争前,鉄くずや石油などをアメリカから輸入していたのに,戦争を始めたらアメリカからの輸入はできなくなり,戦争を続けることはできなくなります。それは「敗戦」を意味し,一気に,「日本という国が占領され,滅ぼされる」という未来像まで描けてしまうのです。

Hiro
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ところが,あえてアメリカと敵対する決定をします。それは,なぜだったのでしょうか?本文を続けて読んでみることにしましょう。

Hiro
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日本政府の戦争を避けたいという願いの裏腹に,日本軍は1940年7月に北部仏印(フランス領北部インドシナ)に進駐していました。その1年後,日本はさらに仏印の南部への進出を計画します。南部仏印は,東南アジアの拠点ともいえる位置にあたるため,そこに日本軍の基地を持つことで,将来の資源確保・領土拡大に備えようとしたのです。

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しかし,それはアメリカにとっては,「日本の侵略」そのものに映ったのです。ハル国務長官は,日本の南部仏印進駐開始により「日米交渉は終了した」と述べるのです。

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この本には,「日本軍部も政府も南部仏印進駐に対してのアメリカの反応を,完全に読み間違えていました」と,書いています。そして,アメリカはさらに強い態度に出るのです。

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日本に対しての経済封鎖措置をまとめると,次のような流れになります。

1939.7.26   米,日米航海通商条約破棄を通告

9.1    第二次世界大戦始まる

1940.1.26   フランス,ドイツに降伏

7.22   第二次近衛内閣誕生

米,くず鉄・石油の対日輸出制限措置公表

9.23   日本軍,北部仏印(フランス領インドシナ)進駐

9.26   米,くず鉄の対日全面禁輸

9.27   日独伊三国同盟締結

1941.7.2    御前会議で対英米戦準備・南方進出方針決定

7中旬  日本,南部仏印進駐移動開始

7.24 米大統領,日本大使へ仏印進駐中止勧告

7.25    米,在米日本資産凍結令公布(実質的経済断交)

7.26    英,在英日本資産凍結令公布,

日英通商航海条約・日印通商条約・日本ビルマ間通商条約破棄を通告

フィリピン,日本資産凍結

カナダ,日英通商条約加入破棄通告

7.27   ニュージーランド,日本との通商関税航海関係取り決め破棄通告

7.28    日本軍,南部仏印進駐

オランダ領インド(蘭印),日蘭石油民間協定停止を発表

8.1    米,対日石油全面禁輸

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このように,近衛内閣になってから日米関係は加速度的に悪化していったのです。アメリカだけでなく多くの国から日本への輸出が止まります。資源が少なく,海外からの輸入に頼っていた日本は,その存亡の危機に直面していくのです。

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世界中から経済封鎖をされた日本は,中国との戦争継続のためにも,国内産業・生活のためにも,資源確保がもとめられました。

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「日本に入らなくなった石油や天然ゴム,鉄などを確保するためには,重要資源地域である蘭領インド(インドネシア)やマライ(マレーシア)などの東南アジア方面を日本が支配するしかない」という意見が熱を帯びてきます。

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日本がその地域を武力支配すれば,そこを植民地支配しているオランダ・イギリス・アメリカなどとの戦争になるのは必至です。「それらの国との戦争をも辞さない」という意見が急速に高まります。何より,石油が手にはいらなくなったという目の前の危機をどう乗り切るかを決めなければなりません。

Hiro
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天皇は最後まで「外交に重点をおく」ことを確認して,戦争に反対の意思を示すのです。永野軍令部総長は,天皇に対して「決して私どもは好んで戦争をする気はありません。平和的に力を尽くし,いよいよの時は戦争をやる考えであります」と答えています。

Hiro
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マレー・フィリピン島等の予定作戦は楽観的予測に基づいた作戦であったと私は思います。政府や軍部は,予定通りいかなかった場合にどうするのかといったことをどうして決められなかったのでしょうか。

Hiro
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仮に悪い予想をするとその通リになる,という井沢元彦さんがいうところの「日本人特有の言霊思想」の影響でしょうか。「言霊思想」が気になる方は,「井沢元彦著『逆説の日本史4巻;ケガレ思想と差別の謎』の紹介(小学館1996.6.10発行)」という私のサイト(アドレスは;https://tk-s-e-office.com/?p=2641 )を読んでいただけるとよくご理解できると考えます。

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豊田外務大臣は,「陸軍が戦争中の中国から兵を引き上げることでアメリカとの交渉成立の見込みはあるかもしれない」と東条陸相に申します。東条陸相は「陸軍は中国からの撤兵は,絶対に譲れない」と答えています。

10月16日,近衛内閣は東条陸相の提案※1を受けて,内閣の総辞職を決めます。
※1東条陸相の提案とは・・・豊田外相は「日本軍の撤兵」が交渉妥結の条件と述べますが,東条陸相は「撤兵は認めることはできない※2」と言い,最後まで平行線に終わります。結局,近衛内閣は,日米交渉の政府案すらまとめることができませんでした。そこで東条陸相は「すでに御前会議で決定している方針を無視するわけにはいかない以上,内閣は総辞職し,改めて政府方針を立てなおさなければならない」と,近衛首相に総辞職を提案します。
※2東条陸相の撤兵は認めることはできないという考えは・・・米国の主張にそのまま屈服したら,支那事変の成果は壊滅に帰す。さらに満州国の存立を危うくし,朝鮮統治も動揺する。駐兵は心臓である。主張すべきは主張しなければならない。譲歩に譲歩を重ね,このうえさらに心臓ともいうべき駐兵を譲ることは結局降伏に等しい,という考えでした。
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政府内での話し合いの中では,<アメリカと戦争をしても日本に勝ち目は無いとわかっている。しかし,今までの日本の成果を手放したくない。今の日本の状況を考えたら,自力で資源を確保しなければいけない>という政府の考え方になっていったと私には容易に想像できます。

Hiro
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「負けるのはわかっているが,そのまま引き下がることはできない」ということでしょう。政府内の責任ある人々はそれでいいのかもしれませんが,命令を受ける側である我々一般国民にとっては,納得できません。それこそ交渉で何とかして欲しいと願わざるを得ません。

Hiro
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もう1つ気になることがあります。それは,ハルノートと呼ばれるノートの存在です。これは私の推測でしかないのですが,アメリカ人の中には日本が戦力をつけて国力を増していったことに対して「日本人のくせに生意気だ・・・」というような感情があったように思います。それは,非白人である日本人に対して,許してはならないというような感情です。

Hiro
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このあたりの内容については,センシティブに対応しないといけないと思っています。ただ,たくさんの歴史的文書や書類によって,いつの日か証明できるのではないか,とも考えています。(証明できないかもしれません。つまり,私の考えが間違っているかもしれません)

Hiro
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東条陸相の提案を受けて,近衛内閣は総辞職します。その後,日本の首相になったのは,なんと元東条陸相だったのです。戦争を強行に進めようとしていた元東条陸相がなぜ首相になったのでしょうか。当時,元東条陸相は東久邇宮(ひがしくにみや)を首相に推薦していました。自分は首相にはならないと考えていたのです。しかし,平和志向の強かった天皇は,東条英機を首相に指名したのです。

Hiro
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ここで,問題です。

問題2.天皇が,東条英機を首相に指名したのはなぜでしょうか。次の選択肢から選んでください。(答えは1つとは限りません)
  予   想
ア.9月6日の御前会議の内容をよく知っているから
イ.陸軍を抑え得る力のある者であるから
ウ.組閣の際に,条件をさえ付けて置けば,陸軍を抑えて順調に事を運んで行くだろうと考えたから
エ.その他

Hiro
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答えは,ア,イ,ウ,全てです。天皇も重臣たちも,日本の運命を東条英機にかけたのです。それは「陸軍や国内をおさえ,なんとか戦争を回避するため」だったのです。避けられそうにない開戦への流れを何とか止めるために,天皇も危険を承知で東条内閣に賭けたのです。東条英機は首相と陸相,内務相を兼務していました。政治と軍隊と警察権力とが一人の人間の手に落ちたのです。

Hiro
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東条内閣は,成立後からすぐに日米交渉についての検討を始めます。以前の御前会議での決定を白紙に戻し,改めて話し合いをしていくことを宣言したのです。

Hiro
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ところが,戦争準備を始めている陸軍も海軍も,一刻も早い決定を迫ります。そういう強硬意見を前に,東郷外相はすでに戦争に向けて動き出した軍を止めることの困難さを痛感するのです。

Hiro
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私はこの本を読んで初めて知ったことがあります。それは,「軍事上の機密事項」の壁です。たとえば,日本の持つ船舶や武器,兵力量,作戦など,軍の機密事項とされるものは,重要な会議の席でも明らかにされなかったのです。そのことは,何を議論したときも問題になりました。当該官庁から「船舶が年をおって増加して来るに従い,その生産も増大する」し,「南方よりの石油もだんだん輸入できるようになる」ということでした。

Hiro
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・・・「戦時における財政的措置には充分の見込みがあり,食料も同様である。各地の民衆の様子も心配するにあたらない」という意見が提出されました。「予想が正確かどうか」に疑問を呈しても,細かいデータが「軍事機密」として知らされないのでは,それ以上の追求の仕様がありません。結局,もっとも大事なことが議論されず,そのまま統帥部の言うとおりに進んでしまうのです。そして,この誤算はその後の日本の戦争計画を大きく狂わすことになっていくのです。

Hiro
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私は唖然としました。はじめからこの戦争は負けることが予想され,計画についても悪い事は一切考えず,よいことばかりを予想していたことになります。政治や軍隊のことを何も知らない私でも,それはあり得ないことだと理解できます。それで数百万人の日本人が亡くなってしまったことについて,私は信じられません。

Hiro
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軍部は軍部なりに,この戦争の終結についてシナリオを考えていました。次の2つのグラフをみてください。

Hiro
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日本と連合国の戦力を比較するとそれほど悪いとは言えません。つまり短期決戦になった場合は,日本が勝利できるかもしれない,と日本の軍部は信じたのではないでしょうか。

Hiro
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短期決戦で勝利し,日本側にとって都合がいいように物事を進めようと考えていたのかもしれません。この本には,そのことについてもう少し詳しく解説しています。その部分を抜き書きします。

Hiro
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日本の戦争目的と戦争終結のシナリオ(本書p.103)

米国戦略爆撃調査団の報告書では,日本の軍部が当時アメリカについて「結局のところ,米国は戦争に嫌気がさし,日本と妥協して,日本が緒戦に手にいれた領土の主要部分を保持することを認めるであろう」と分析していたことが述べられています。
陸軍軍務課長だった佐藤賢了も,日本の戦争目的を次のように述べています。
この戦争の目的は何かといえば,
「A・B・C・D対日包囲網で裏付けされている経済封鎖を,武力をもってぶち破り,そして,生きるために必要なもののある資源地域を占領確保して,石にかじりついても粘り続け,その資源で戦を養いつつ戦いを継続する。向こうがやめるまでこっちもねばりぬく」
 これが,この大東亜戦争の戦争目的であった。・・・これより外に,この時の日本の生きる手段はない,というので始めたのがこの戦争なのであった。――佐藤賢了『佐藤賢了の証言』
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「遠い<極東>の地での戦争にアメリカが嫌気をさす」という状況を期待していたのです。自分に都合のいいように対応するであろうアメリカに期待して戦争を始めたとは・・・私は信じられません。

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当時の戦争について日本が精神を大事にしていたのがよくわかります。戦争に対する日本の緻密な戦略がなく,個人の精神でしか対応できるものが無かったと言わざるを得ません。まるで,日本政府や軍人にはアメリカ政府を分析する能力はないかのようです。反対にアメリカ政府は日本政府や日本軍のことをとてもよく分析していたと思います。

Hiro
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永野軍令部総長の見方90ペ

当時の海軍軍令部課長であった富岡定俊は,戦後に永野軍令部総長に聞いた話を紹介しています。
戦後私は永野軍令部総長に対し,「正確な歴史として残すため,総長が<開戦止むを得ず>と判断された,本当の理由は何であったか」を問ったことがあった。永野さんの答えは,
「あそこまで引っ張って来て,事ここに至る。ここで戦争をしないで屈することは,日本に内乱が起こることを意味する。陸軍がクーデターを起こす。海軍にも勇ましいのがいたが,大体は自存自衛で,止むを得なければ戦うといった程度。そこで陸海軍がお互い戦うことになり,陸軍が勝つだろう。国民も当時は無責任な勇ましさだった。陸海軍が同士討ちをしてから戦争になったら,まことにだらしのない,歴史に残る戦争になる。やはり一致して戦争をせざるを得ない。自存自衛のため賛同した」
ということであった。私も米国に屈して,満州を放棄すると決めた時の事態は,読めていた。「陸軍がクーデターを起こし,天皇を満州に擁する」という計画を,私は掴んでいた。・・・
 海軍が開戦にノーと言わなかったのは,失敗であり海軍の責任である。その理由と思われるのは,陸軍はすでに支那で戦争をやっているのに,海軍はいまだほとんどやっていない。そこで海軍が戦争ができないなら予算も物もよこせ,とくる。陸軍のこれは痛かった。・・・
――富岡定俊「海上自衛隊幹部学校学生に対しての講演」史料調査会編『太平洋戦争と富岡定俊』(軍事研究者,1971)
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以上を踏まえると,戦争が始まるには,いろいろな要素が関係していることがよくわかります。「日本は戦争に進む道しかない」と国民もマスコミも軍部も思い込んでいたのでしょう。当時のアメリカと日本の関係の中で戦争を回避できなかったのは,仕方がなかったのでしょうか。何か戦争を回避する方法があったのではないかと思ってしまいます。

Hiro
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中さんは最後につぎのような文章を書いています。213ペから抜き書きします。

個人の気持ちに見られるような相手との関係悪化の流れと,社会が戦争へと進んで行く流れには,似たものを感じます。個人の気持ちと同じように,個人から構成される「社会」も動いていく,私たちはまず,そういう<法則性>を探り,理解していくことが必要になります。

そして,自分にはどんなに「悪」に思えても,まずは相手の正義・理由を知ろうとすることが必要になってきます。相手は,「自分たちが信じる正義」によって動いているのですから。そのうえで,相手の正義と自分たちの正義をどうすりあわせていくのか――そこでの鍵となるのが,まさに<お互いの理解>ということではないでしょうか?

Hiro
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まさに<言うは易く,行い難し>だと私は思います。だとしても,未来のことは誰も分からないのですから,時間をかけてでも「相手を知ること」から始めて,相手を理解することが必要になってくるでしょう。相手とどこかで折り合いをつけることが大事なのではないでしょうか。

Hiro
Hiro

あなたは,このレポートを読んでどんな感想を持たれましたか。

Hiro
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私は,個人間も国家間も何とか話し合いで解決していってほしいと切に思いました。

Hiro
Hiro

最後まで読んでいただき,ありがとうございました。

Shige
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Shige
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