
中一夫さん編著『日本の戦争を始めた人々』,この本の裏表紙に次のような文が書かれています。

それぞれの問いに,あなたならどう答えますか。これらの問題について,これから探っていくことにしましょう。

いつもと同じようにいくつかの問題を解きながら,戦争の開戦の本質に迫っていきたいと考えています。よろしくお願いいたします。

この本の<はじめ>には,次のような文章が載せてあります。そのまま抜き書きします。

次の①と②の問いについて考え,選択肢の中から一つ答えを選んでみてください。

あなたは,どうだったと思いますか?

じつは,その時の決定は,「全員一致」でした。大本営政府連絡会議でも内閣の会議でも同じで,そこには天皇の聖断も軍部の意見の強要などもありませんでした。議論の余地なく,皆,「戦争しかない」と思ったのです。

それは一体なぜでしょう? 日本はアメリカやイギリスに勝てると思ったのでしょうか? 開戦当時の人々はいったい何を考え,その戦争を始めたのか?――それは日本の戦争の最も大きな謎とも言えるでしょう。

天皇は,終戦のときには「戦争終結」という英断をしています。戦争開戦当時,天皇は終始一貫戦争反対でした。それにも拘わらず,天皇は開戦のときは「戦争開戦回避」という英断をしていません。それは,どうしてでしょうか?

もし,天皇が「戦争回避」の英断をすれば,戦争をせずに済ませたのではないでしょうか。天皇が英断をしなかったことについては,天皇なりに深い理由があったのです。

ここで,問題です。


正解は,ア.日本国内で内乱が起こる可能性があったから,になります。率直に考えると,天皇の英断に対して<なぜ日本国内で内乱が起こるの?>という疑問が起こります。その疑問に答えるために本書p.167の最後の4行から抜き書きします。

何ということでしょうか。戦争は天皇でさえ回避できなかった。しかし,開戦の決定がされるまでには,何か大きな理由があったに違いありません。

日本政府――近衛内閣に関係する人々や責任ある人々,陸軍・海軍もアメリカとの戦争をなんとしても避けたいと考えていました。アメリカと戦争になれば日本が負けることは責任ある人々には,わかっていたのです。

戦争前,鉄くずや石油などをアメリカから輸入していたのに,戦争を始めたらアメリカからの輸入はできなくなり,戦争を続けることはできなくなります。それは「敗戦」を意味し,一気に,「日本という国が占領され,滅ぼされる」という未来像まで描けてしまうのです。

ところが,あえてアメリカと敵対する決定をします。それは,なぜだったのでしょうか?本文を続けて読んでみることにしましょう。

日本政府の戦争を避けたいという願いの裏腹に,日本軍は1940年7月に北部仏印(フランス領北部インドシナ)に進駐していました。その1年後,日本はさらに仏印の南部への進出を計画します。南部仏印は,東南アジアの拠点ともいえる位置にあたるため,そこに日本軍の基地を持つことで,将来の資源確保・領土拡大に備えようとしたのです。

しかし,それはアメリカにとっては,「日本の侵略」そのものに映ったのです。ハル国務長官は,日本の南部仏印進駐開始により「日米交渉は終了した」と述べるのです。

この本には,「日本軍部も政府も南部仏印進駐に対してのアメリカの反応を,完全に読み間違えていました」と,書いています。そして,アメリカはさらに強い態度に出るのです。

日本に対しての経済封鎖措置をまとめると,次のような流れになります。

このように,近衛内閣になってから日米関係は加速度的に悪化していったのです。アメリカだけでなく多くの国から日本への輸出が止まります。資源が少なく,海外からの輸入に頼っていた日本は,その存亡の危機に直面していくのです。

世界中から経済封鎖をされた日本は,中国との戦争継続のためにも,国内産業・生活のためにも,資源確保がもとめられました。

「日本に入らなくなった石油や天然ゴム,鉄などを確保するためには,重要資源地域である蘭領インド(インドネシア)やマライ(マレーシア)などの東南アジア方面を日本が支配するしかない」という意見が熱を帯びてきます。

日本がその地域を武力支配すれば,そこを植民地支配しているオランダ・イギリス・アメリカなどとの戦争になるのは必至です。「それらの国との戦争をも辞さない」という意見が急速に高まります。何より,石油が手にはいらなくなったという目の前の危機をどう乗り切るかを決めなければなりません。

天皇は最後まで「外交に重点をおく」ことを確認して,戦争に反対の意思を示すのです。永野軍令部総長は,天皇に対して「決して私どもは好んで戦争をする気はありません。平和的に力を尽くし,いよいよの時は戦争をやる考えであります」と答えています。

マレー・フィリピン島等の予定作戦は楽観的予測に基づいた作戦であったと私は思います。政府や軍部は,予定通りいかなかった場合にどうするのかといったことをどうして決められなかったのでしょうか。

仮に悪い予想をするとその通リになる,という井沢元彦さんがいうところの「日本人特有の言霊思想」の影響でしょうか。「言霊思想」が気になる方は,「井沢元彦著『逆説の日本史4巻;ケガレ思想と差別の謎』の紹介(小学館1996.6.10発行)」という私のサイト(アドレスは;https://tk-s-e-office.com/?p=2641 )を読んでいただけるとよくご理解できると考えます。

豊田外務大臣は,「陸軍が戦争中の中国から兵を引き上げることでアメリカとの交渉成立の見込みはあるかもしれない」と東条陸相に申します。東条陸相は「陸軍は中国からの撤兵は,絶対に譲れない」と答えています。

政府内での話し合いの中では,<アメリカと戦争をしても日本に勝ち目は無いとわかっている。しかし,今までの日本の成果を手放したくない。今の日本の状況を考えたら,自力で資源を確保しなければいけない>という政府の考え方になっていったと私には容易に想像できます。

「負けるのはわかっているが,そのまま引き下がることはできない」ということでしょう。政府内の責任ある人々はそれでいいのかもしれませんが,命令を受ける側である我々一般国民にとっては,納得できません。それこそ交渉で何とかして欲しいと願わざるを得ません。

もう1つ気になることがあります。それは,ハルノートと呼ばれるノートの存在です。これは私の推測でしかないのですが,アメリカ人の中には日本が戦力をつけて国力を増していったことに対して「日本人のくせに生意気だ・・・」というような感情があったように思います。それは,非白人である日本人に対して,許してはならないというような感情です。

このあたりの内容については,センシティブに対応しないといけないと思っています。ただ,たくさんの歴史的文書や書類によって,いつの日か証明できるのではないか,とも考えています。(証明できないかもしれません。つまり,私の考えが間違っているかもしれません)

東条陸相の提案を受けて,近衛内閣は総辞職します。その後,日本の首相になったのは,なんと元東条陸相だったのです。戦争を強行に進めようとしていた元東条陸相がなぜ首相になったのでしょうか。当時,元東条陸相は東久邇宮(ひがしくにみや)を首相に推薦していました。自分は首相にはならないと考えていたのです。しかし,平和志向の強かった天皇は,東条英機を首相に指名したのです。

ここで,問題です。


答えは,ア,イ,ウ,全てです。天皇も重臣たちも,日本の運命を東条英機にかけたのです。それは「陸軍や国内をおさえ,なんとか戦争を回避するため」だったのです。避けられそうにない開戦への流れを何とか止めるために,天皇も危険を承知で東条内閣に賭けたのです。東条英機は首相と陸相,内務相を兼務していました。政治と軍隊と警察権力とが一人の人間の手に落ちたのです。

東条内閣は,成立後からすぐに日米交渉についての検討を始めます。以前の御前会議での決定を白紙に戻し,改めて話し合いをしていくことを宣言したのです。

ところが,戦争準備を始めている陸軍も海軍も,一刻も早い決定を迫ります。そういう強硬意見を前に,東郷外相はすでに戦争に向けて動き出した軍を止めることの困難さを痛感するのです。

私はこの本を読んで初めて知ったことがあります。それは,「軍事上の機密事項」の壁です。たとえば,日本の持つ船舶や武器,兵力量,作戦など,軍の機密事項とされるものは,重要な会議の席でも明らかにされなかったのです。そのことは,何を議論したときも問題になりました。当該官庁から「船舶が年をおって増加して来るに従い,その生産も増大する」し,「南方よりの石油もだんだん輸入できるようになる」ということでした。

・・・「戦時における財政的措置には充分の見込みがあり,食料も同様である。各地の民衆の様子も心配するにあたらない」という意見が提出されました。「予想が正確かどうか」に疑問を呈しても,細かいデータが「軍事機密」として知らされないのでは,それ以上の追求の仕様がありません。結局,もっとも大事なことが議論されず,そのまま統帥部の言うとおりに進んでしまうのです。そして,この誤算はその後の日本の戦争計画を大きく狂わすことになっていくのです。

私は唖然としました。はじめからこの戦争は負けることが予想され,計画についても悪い事は一切考えず,よいことばかりを予想していたことになります。政治や軍隊のことを何も知らない私でも,それはあり得ないことだと理解できます。それで数百万人の日本人が亡くなってしまったことについて,私は信じられません。

軍部は軍部なりに,この戦争の終結についてシナリオを考えていました。次の2つのグラフをみてください。



日本と連合国の戦力を比較するとそれほど悪いとは言えません。つまり短期決戦になった場合は,日本が勝利できるかもしれない,と日本の軍部は信じたのではないでしょうか。

短期決戦で勝利し,日本側にとって都合がいいように物事を進めようと考えていたのかもしれません。この本には,そのことについてもう少し詳しく解説しています。その部分を抜き書きします。

日本の戦争目的と戦争終結のシナリオ(本書p.103)

「遠い<極東>の地での戦争にアメリカが嫌気をさす」という状況を期待していたのです。自分に都合のいいように対応するであろうアメリカに期待して戦争を始めたとは・・・私は信じられません。

当時の戦争について日本が精神を大事にしていたのがよくわかります。戦争に対する日本の緻密な戦略がなく,個人の精神でしか対応できるものが無かったと言わざるを得ません。まるで,日本政府や軍人にはアメリカ政府を分析する能力はないかのようです。反対にアメリカ政府は日本政府や日本軍のことをとてもよく分析していたと思います。

永野軍令部総長の見方(本書 P.90)

以上を踏まえると,戦争が始まるには,いろいろな要素が関係していることがよくわかります。「日本は戦争に進む道しかない」と国民もマスコミも軍部も思い込んでいたのでしょう。当時のアメリカと日本の関係の中で戦争を回避できなかったのは,仕方がなかったのでしょうか。何か戦争を回避する方法があったのではないかと思ってしまいます。

中さんは最後につぎのような文章を書いています。本書P.213から抜き書きします。

個人の気持ちに見られるような相手との関係悪化の流れと,社会が戦争へと進んで行く流れには,似たものを感じます。個人の気持ちと同じように,個人から構成される「社会」も動いていく,私たちはまず,そういう<法則性>を探り,理解していくことが必要になります。

そして,自分にはどんなに「悪」に思えても,まずは相手の正義・理由を知ろうとすることが必要になってきます。相手は,「自分たちが信じる正義」によって動いているのですから。そのうえで,相手の正義と自分たちの正義をどうすりあわせていくのか――そこでの鍵となるのが,まさに<お互いの理解>ということではないでしょうか?

まさに<言うは易く,行い難し>だと私は思います。だとしても,未来のことは誰も分からないのですから,時間をかけてでも「相手を知ること」から始めて,相手を理解することが必要になってくるでしょう。相手とどこかで折り合いをつけることが大事なのではないでしょうか。

あなたは,このレポートを読んでどんな感想を持たれましたか?

私は,個人間も国家間も何とか話し合いで解決していってほしいと切に思いました。

最後まで読んでいただき,ありがとうございました。

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