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マルク・レビンソン著『コンテナ物語』(日経BP社・2007.1.22)の紹介

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生活の知恵

マルク・レビンソン著『コンテナ物語』の紹介

Hiro
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あなたは,輸送用のコンテナを知っていますか。

Hiro
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このコンテナが世の中の物流を変えたのです。今,岡田斗司夫氏のYouTubeを聞きながら書いています。また,『コンテナ物語』も読みました。この本は,まあ,読みにくいし,分かりにくい本です。コンテナがどのように発展したかアメリカでの出来事を中心に,懇切丁寧に書いてあります。細かすぎて,話の筋(内容)が私には見えませんでした。

Hiro
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なので,岡田氏の話をまとめてみることにします。以下のようにまとめてみました。真実かどうかは,分からないので,全てレビンソン氏(岡田氏?)の仮説として読んでください。

1950年代のアメリカの話です。

世界の大きな港の近くには(日本も同じようなものでした),沖仲士(おきなかし)と言われる人々が住んでいました。彼らは,肉体労働をしてたくさんの荷物を運びました。大型船は沖に停泊しているから,どうしても人力で荷物を運ぶしか当時はできなかったのです。荷物を港まで車で運ぶ,港から桟橋へ運ぶ,荷物を艀(こぶね)へ載せる。艀から大型船へ載せる。それは大変な作業だったらしいのです。だから船で運ぶ運賃はすごく高くついたらしいのです。

 

また時間もかかりました。荷物の中の品物が盗まれることもよくありました。だから,荷主は沖仲士と仲良くしなくてはいけませんでした。沖仲士は腕っぷしが強く,強い仲間意識がありました。なので,家族や親せき関係者だけしか沖仲士になれなかったのです。アメリカでは,渡し板のことをギャングといいました。また,同じ渡し板(ギャング)を使うのは,同じ仲間だけでした。港の近くの夜の街では沖中氏達が幅を利かせていました。ここから荒くれ者(沖仲士)のことをギャングと言うようになったらしいのです。日本では,沖仲士と話をつけるために<やくざ>が発生したと言われています。(本当かどうかは知りません)

海上輸送の物流のシステムを変えた男は,マクリーンだと言われています。実はマクリーンがコンテナを活用するまでにも,コンテナ自体は世の中に存在しました。マクリーンが変えたのはコンテナを使ったシステムだったのです。

Hiro
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著者のレビンソンが調べるまでは,コンテナシステムが誕生した経緯などの詳しいことは何一つわかっていませんでした。そこで彼がコンテナについて調べ倒し,本書を書いたということです。参考図書が82ページに渡って書かれています。82ぺージもの用紙が参考図書だけで埋まっているのです。

世界の流通を変えたのは今のコンテナだと言われています。しかし,その当時,誰にもこのイノベーションは想像できません。マクリーンさえ,こんなに変わるとは思っていなかったはずです。彼は金儲けをしようとしただけなのですから。ただし,今のコンテナの仕組みに行くつくまでには,たくさんの人々の野心,政治的,金銭的な戦いなど紆余曲折が数多くあります。いつの時代もすんなりとは進まないものです。

第二次世界大戦後,アメリカでは,多くの船が売りに出されました。アメリカ政府は,日本と戦争するために物資輸送用の大きな船を作ったり買い上げたりしました。戦争が終わると,政府は大きな船を民間に売りに出しました。その船をマクリーンは安く手に入れました。

この船を使って荷物を運ぼうと考えたのです。それまで,マクリーンは自動車での国内輸送で大儲けをしていました。マクリーンは商いの才能があったのです。しかし,はじめからうまくいっていたわけではありません。アメリカにも沖仲士との問題があったからです。

運がマクリーンに味方します。それはベトナム戦争です。ベトナム戦争でアメリカの軍隊の数が増えるにつれて,軍の物資の輸送が正常にできなくて困っていました。そこでマックリーンは「コンテナで正常にできるので自分にまかせて欲しい」と軍に要望しました。軍は彼にお願いすることにしました。マクリーンは自腹でベトナムに港とクレーンを作りました。そして数か月で,軍の物資の輸送を正常にしたばかりでなく,黒字も生み出したのです。軍の物資をベトナムに運んだ後,空のコンテナをアメリカに帰すのはもったいないと彼は思いました。

しかし,ベトナムからの物資を運ぶことは軍との契約で禁止されていたのです。そこで,彼は日本の製品に目をつけました。日本からの物資を運んでいけないとは,契約に書いてなかったのです。その当時,日本の電化製品の性能の良さがすこしずつ,アメリカで知られるようになってきた頃でした。そこで日本の電化製品を空になったコンテナに詰めて,アメリカに輸入したのです。これが大当たりでした。しばらくすると,日本の電化製品でアメリカが埋め尽くされたのでした。

Hiro
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岡田氏は日本の高度成長にはこの事態が大きく働いていると言っています。おそらく日本の経済成長にもかなり貢献したように私も思います。しかし,それだけではないでしょう。本当のところは調べてみないと分かりません。

Hiro
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日本にとっては残念なことですが,今や中国やその他の東南アジアの国々がかつての日本のような立場になっています。2003年当時,コンテナ貨物取扱量1位は香港,2位シンガポール,3位上海,4位深圳,5位釜山,6位高雄になっています。

Hiro
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ちなみにマクドナルドのおもちゃは中国で作られていますが,1個の値段が15円から20円だそうです。コンテナ輸送によってそこまで値段が下がったのです。コンテナによって世界のグローバリゼーションが加速しました。それは,今も続いています。これからどうなっていくのか私には,予想できません。いつものセリフですが,「未来は,誰にもわからない」のです。

Hiro
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ここに書いたものは,ほぼ岡田氏の考えです。彼は物知りなので,『コンテナ物語』を読んで,自分なりの考えを自身のYouTubeチャンネルで語ったように思います。

Hiro
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今ではコンテナが港に山積みになっている写真をよく見かけます。コンテナによって,運賃が安くなり, 物の値段が安くなり,人々の給料も安くなったように思います。情報革命によって,会社では働く人を少なくできるので,アメリカや日本では,これから中産階級が消えていくのかもしれません。

Hiro
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これから先,<コンテナを利用したテロ(例えば,小型原子爆弾を積んで爆発させる)や人の輸送(不法入国)などの問題が起こるかもしれない>と岡田氏は言っています。なぜなら1個1個のコンテナの中を調べるのは不可能だからです。また古くなったコンテナがたくさん捨てられている場所もあるようです。

Hiro
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これから先も「コンテナ物語」は続いていくのです。

参考:2019年コンテナ貨物量上位10港

出典:Lloyd’s List One Hundred Ports 2020(注:速報値)

※TEUとは、20フィートで換算したコンテナ個数を表す単位のことです。 海上コンテナは、輸出入されるため国際的に統一された構造となっており、サイズも20フィートと40フィートが一般的に使用されていますが、このうち20フィートコンテナ1個分を1TEUと呼んでいます。

  • 順位       港湾名(国名)        TEU
  • 1            上海(中国)       43,303,000
  • 2            シンガポール(シンガポール)       37,195,636
  • 3            寧波(中国)       27,530,000
  • 4            深セン(中国)    25,770,000
  • 5            広州(中国)       23,236,200
  • 6            釜山(韓国)       21,992,001
  • 7            青島(中国)       21,010,000
  • 8            香港(中国)       18,361,000
  • 9            天津(中国)       17,264,000
  • 10            ロッテルダム(オランダ)  14,810,804
  • ・    ・・・・・   ・・・・・
  • 39       東京(日本)        4,510,000
Hiro
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ちなみに,日本のトップは東京で39位です。しかも桁がひとつ違うのです。驚きです。中国にある港が,ずば抜けて量が多いことがわかります。中国の発言が世界に影響を与えることがよく分かるような数字です。日本は,この中国と付き合っていかなくていけないので大変です。これから先がものすごく不安です。我々の孫世代は大丈夫でしょうか?

Hiro
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最後まで読んでいただき,ありがとうございました。

資産形成は,投資信託から。

ためて、ふやして、進化する。ひふみ投信

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