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橋爪大三郎『世界は四大文明でできている』(NHK出版新書)を読んでみた

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生活の知恵
Hiro
Hiro

この本によって、世界の常識がやっと理解できたように思います。

Hiro
Hiro

この本に書かれている内容は、日本人がこれから先、意識していいかなくてはいけないことの一つだと考えます。忘れないように簡単に要約したいと思います。

Hiro
Hiro

以下の文章は要約文です。

所々に私の感想が書かれています。

1.四つの文明

世界には、大きく言えば、四つの文明が存在します。ヨーロッパ・キリスト教文明。ここ500年、人類をリードしている有力なグループです。人数は、25億人です。
二番目は、イスラム文明。中東という場所を中心にしています。中央アジア、アフリカの北半分、インドの両脇。東南アジア(マレーシア、インドネシア)にも拡がっています。15億人です。イスラム教をベースにする。
三番目は、インドのヒンドゥー文明。人数は、10億人です。ヒンドゥー教をベースにしています。
最後、四番目は、中国の儒教文明。人数は、13億人です。儒教をベースにしています。

2.四つの集団

これらの四つの集団は、いずれも、宗教がもとになって、形成されていて、四つのグループの人数を足すと63億人です。人類は今73億人です。残りの10億人は、その他おおぜいです。無視してもいい少数者です。
四つのつぎに大きなグループは、仏教かもしれません。東南アジアを中心に数億人のグループがあります。この程度の人数では、一次近似でものを考える場合には、考慮しなくていいのです。
日本は一億人の集団ですからサイズが10分の1です。とても小さいです。人類社会を考えるときには無視してもいいぐらいの少数者です。自分たちは、人類のなかでは絶対的な少数者であることを頭に刻んでください。

3.宗教とは何か

なぜ宗教が、世界四大文明の基礎になっているのか。「文明」(civilization)とは何か。文明とは、多様性を統合し、大きな人類共存のまとまりをつくり出すものです。文明の特徴は、文字をもつこと。法律や社会制度が整っていること。帝国のような政治的まとまりや、教会のような宗教的まとまりをもっていること。暦や生産技術、軍事力、経済活動、貨幣、交通などの社会インフラなどをそなえていること。
逆にいうと、そういう共通点がある反面、内部に多様性を抱えています。言語がばらばら、人種や民族がばらばら、文化がばらばら、社会地域がばらばらです。さまざまな多様な人々の集まりが文明です。文明は、そうでなければばらばらになってしまう人々の多様な社会(個別の文化)をそれより高いレベルに統合する試みなのです。
文化は、民族や言語など自然にできた人々の共通性にもとづいています。それに対して、文明は多くの文化を束ねる共通項を人為的に設定することです。文明のほうが文化よりレベルが高いのです。
ではなぜ、世界の四大文明はどれも宗教をベースにしているのか。それは、宗教が個別の言語や民族、文化を超える普遍的な内容のものだからです。「普遍的」(universal)とは、時間や空間に限定された特殊なものでなく、もっと一般的だという意味です。
宗教にもほかの文化や民族には広まらない、自然宗教や民族宗教もあります。けれども、キリスト教やイスラム教、ヒンドゥー教、儒教といった古代に現れた宗教は、そうしたこれまでの宗教の限界を超えていくことを目指すものです。もっと広い、人類の共通性をうみだそうとします。だからそれが、文明の基礎となることができたのです。
Hiro
Hiro

え~、そうだったの!初めて知りました。これは、すばらしい知識です。ということは宗教よりも、もっとレベルの高い何かで人類を統合できるということですよね。

Hiro
Hiro

これはすばららしい考え方ですよ。この考え方を持っているか、持っていないかで大違いです。0と1のような大きな違いです。

Hiro
Hiro

その何かとは、そう、仮説実験授業と仮説実験的認識論しかないですよね。未来が見えてきましたよ。きっと将来、この地球上に住む全人類が仮説実験的認識論によって統合されるはずです。私には確信できました。目標がきまったので、後はのんびり進めるだけです。もう結果はわかったのですから。

かりに、これらの宗教がなかったとしましょう。どうなるか。人類は、文明という大きなまとまりを形成することができずに、言語や人種・民族や文化ごとに、もっと小さなまとまりをつくるしかなかったでしょう。10億人~20億人といったサイズではなく、100万人とか1億人とかいったサイズになります。すると、となりの集団とは共通点がないので、争いになり、人類はもっと混迷を深めていたはずです。宗教は世界の平和に貢献しているのです。
Hiro
Hiro

ちょっとまってください。宗教は,平和に貢献なんかしてないでしょう。違うのかな?

Hiro
Hiro

反対に,宗教のせいで争っているのではないでしょうか。だから,ここはおかしい,と私は思います。

宗教のこの働きが十分に協力であれば、人類全体をひとつの宗教に統合することができるはずです。ではどうしてグローバル世界は、少なくとも四つの宗教文明に分断されてしまっているのか。
それは、これら宗教が広まったのが古代だからです。古代の交通や情報伝達の手段は限られていたから、せいぜいさし渡し2000キロほどの範囲をカバーするのが、精一杯だったのです。よって、地球の表面は複数の文明に覆われることになった。結果的に四大文明が成立した、ということなのです。

4.宗教文明と正典

それぞれの文明は、自分たちこそが普遍的で、人類全体を包み込むことができる原理だ、と自負しています。そこで、ほかの文明に対して、対抗意識をもちます。かえって、文明と文明とのいがみ合いの関係が生まれます。グローバル化とは、交通や情報伝達の手段が発達して、地球がひとつの市場に統合されることです。でも、その基盤である宗教文明はそのままです。それぞれの文明が「同じように考え、同じように行動する」人々の集まりだとすると、人類社会は、「異なったように考え、異なったように行動する」人々のグループの集合ということになります。サミュエル・ハンチントンが、「文明の衝突」という考えを述べました。
日本人があまり意識しない宗教文明のポイントがあります。それは、どの文明も正典をそなえていることです。正典がある。これが世界標準なのです。
日本には正典がない。大変だ、世界標準に外れていると思わなければならない。正典とは何か。ラテン語でいえば、カノン(canon)です。規準になるテキスト、という意味です。キリスト教の正典は何か。はい、『聖書』です。イスラム教の正典は何か。はい、『クルアーン』(Qur’an)です。クルアーンはコーランともいいます。ヒンドゥー教の正典は何でしょう。ヴェーダ聖典という書物です。儒教の正典は何か。五経です。
 このように、宗教ごとに正典は違っていて、その内容もさまざまです。けれどもその機能からみると、これらの正典はすべて共通しています。それは、どの正典も《人間はこのように考え、このように行動するのが正しい》とのべていることです。

5.正典の特徴

正典の大事な特徴。それは、正典が文字で書いてあることです。文字の特性。それは「いちど書いたら、変化しない」ことです。文字ですから、言葉が書いてある。言葉には意味があります。お前たち人間は、こう考え、こう行動しなさい、と書いてある。それを読む人々は、じゃあ、そう考え、そう行動しよう、と思うことになります。正典を読むたびに、人びとはそう思う。正典が書かれてから、100年経っても、500年経っても、1000年経っても、2000年経っても、そう思う。そうやって「同じように考え、同じように行動する」人びとの集団を、世代を超え時代を超えて、再生産することができるのです。これが、10億人、20億人といった巨大な大集団を、維持できる秘密です。
Hiro
Hiro

気になることがひとつあります。日本には正典が無いですね。じゃあ、どうやって日本人のアイデンティティーは繋がっていくのでしょうか。日本人のなるべくなら争わない気質、相手に親切にする気質、助け合う気質、こんな気質はどうやって受け継がれていくのでようか。

Hiro
Hiro

岡田斗司夫さんは,次のように考えています。日本の神道は,正典がなくなり,考え方だけが残っている状態だということです。この考え方は,本当かもしれないし,本当でないかもしれません。

同じ正典を参照する人びとが「同じように考え、同じように行動する」ので、相手に対する予測可能性が高まります。すると仲間として協力しやすくなります。ビジネスができます。同じ法律に従うこともできます。一緒に政府(帝国)をつくることもできます。教会や官僚組織のような大きな機構をつくることもできます。軍隊を組織することもできます。文化・芸術を花開かせることもできます。総じて、文明の名に値するさまざまなよいことを行うことができるのです。ひと口で言うなら、正典の機能はここにあります。
ヨーロッパ・キリスト教文明は、経済が発展し、戦争も強く、ほかの文明を圧倒することができました。
Hiro
Hiro

一神教の世界のとらえ方が難しいです。特に日本人の私には、理解できないことが多くあります。

Hiro
Hiro

最後まで読んでいただき,ありがとうございました。

Shige
Shige

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