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黒川伊保子著『家族のトリセツ』の紹介

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生活の知恵
Hiro
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私に新しい考え方を教えてくれた本のひとつに「家族のトリセツ」があります。

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今回,この本が私に与えてくれた大きな示唆について,3つ紹介します。

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興味がある方は,本を買うか,図書館などで借りるなどして実際に本文を読むことを強くお勧めします。本を読むほうが,黒川さんが伝えたいことをダイレクトに詳しく理解できると考えるからです。読む時間がない,あるいは私が学んだことを知りたい方は,このブログを読んでください。よろしくお願いいたします。

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『家族のトリセツ』黒川伊保子著・NHK出版新書2020.10

1.大きな示唆その①

欠点を治すのは得策ではない
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人の性格や考え方を第三者からみると全て2通りの解釈ができます。要は,コインの表と裏の関係です。例えば,何に対しても慎重な人は,積極性が足りないともいえます。明るい人は,お調子者ともいえます。

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黒川さんは,その人の特徴であるモノ,例えば「ぐずぐず」「ぼんやり」な性格を直そうとすると,その対になるその人らしさを失くしてしまう,といいます。また「家族にノーリスクはない」と言います。

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白衣を着た女性は黒川さんと思ってください。

子育てにも,夫婦関係にもノーリスクはない。たとえば,理系の天才の中には,片づけられない脳の持ち主がいる。脳の「仮想空間」があまりに活性化しているため,目の前の現実と上手に折り合えないのだ。

「頭の中」のことに気を取られすぎていて,現実空間の認知に時間がかかるから,「さっさとする」ができない。あげく,置きっぱなし,脱ぎっぱなし,やりっぱなし。「タスク」にしろ,「もの」にしろ,なにせ片づかないのが,一部理系脳の典型的な特質である。

そんな子どもを,懸命にしつけて「お片づけ」できるように育てると,天才を1人,消してしまうかもしれない。しかし,正常な社会生活が送れなければ,大人とは言えない。親は,この二つのリスクバランスを考えるべきなのであって,ノーリスクを信じているのは不幸である。

だとすれば「多少の片づけられない」は,個性として呑み込んで,「そのかわり,創造性が半端ないわ」と喜ぶべきである。

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以上のことを黒川さんは言います。まとめると,次のようになります。

感性の尖った部分=その個体が生き残るための才能(おおむね世間から見て長所といわれる)をうまく使うためには,凹んだ部分=その個体の弱点(世間からは必ず否定される)を温存する必要がある。

2.大きな示唆その②

「確信」は「称賛」よりも気持ちいい
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黒川さんは,確信について次のように言います。

私が欲しいのは,センスだ。成果じゃない。思いもよらない新事象に,腹に落ちる答えを導き出せる力だ。センスのいい脳でいられれば,迷いなく答えが出せる。

他人に認められる答えかどうかは気にしたことがない。だって,「確信」は,「賞讃」よりもずっと気持ちいい。迷わない,疑わない,拗ねない,逃げない,他人の目が気にならない……。そうやって生きられる気持ちよさのためには,富も賞讃もいらない。

「確信」が持てないと,「承認」や「称讃」を求めて,「他人の思惑」を生きる人になってしまう。そして,「確信」に至るためには,失敗を重ねないといけない。脳はそういうふうに出来ている。

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自分は失敗ばかりしていて,今まで自分でつかんだ「確信」を持てたモノがありません。自分の人生で「確信」が持てたモノは,全て自分以外の人から学んだものです。学んだ人と内容は,板倉聖宣の仮説実験授業や三石巌の分子生物学,遠藤周作の愛,澤上篤氏の経済学です。(澤上篤氏だけ敬称がついているのは,まだ存命だからです)

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今までまったく自分に自信がなかったのが,学んでいくうちに自信を持てるものが増えてきたのは脳にとって,よいことだったのでしょう。そして,もう一つ分かったことがあります。それは,この世のすべての人が自信をもって生きていないということです。この世のすべての人は、何かしらの不安をもっています。「なんだ,みんな自分と同じじゃないか。自信なんてみんな持ってないじゃないか」と分かったときは,うれしかったです。みんな自分と同じ程度だと分かったからです。

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それどころか,自分には確信を持てるものがある。これは素晴らしいことだと黒川さんは気づかせてくれました。ただし,自分自身でつかんだものは何ひとつありません。(笑)それでもいいです。

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3.大きな示唆その③

ありもしない罪をあえて差し出す
ありもしない罪というのは,例えば打ち合わせ時間を相手にメールして確認してもらったのに,打ち合わせ時間を間違えた相手に,「忙しい方なのだから,昨日,もう一度連絡すればよかった。気がつかなくて,すみません」とあやまることです。普通なら「私,ちゃんとメールしましたよね?」とか「メール,ちゃんと見ました?」とか言ってしまいがちなシーンで,ありもしない自分の罪を差し出すのです。
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黒川さんは言います。

このセリフを言える人は,脳内の責任範囲が広い人だ。「私は正しく発注したのに,相手が間違えた」となじる人は,自分の責任範囲が「発注完了まで」だと思っている。

しかし,「私にもできることがあったはず」と言える人は,「納品完了まで」が,自分の責任範囲だと自然に思っているのである。これが,周囲の脳には「リーダーの風格」として映るのである。

家族だって一緒だ。「ほら,みなさい」と鬼の首を取ったようなダメ出しする親と,「私も,夕べ一緒に確認してあげればよかった」と言える親では,後者の方が敬愛される。前者は,子どもと敵対しているが,後者は子どもにとって,自分をうまくマネージメントしてくれる人と映るため,自然に子どもを支配下に入れることができるからだ。

Hiro
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私の考えをはるかに超えたいい考え方に脱帽です。自分の責任範囲を広くした考え方で生活していきたいです。

Hiro
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私は,人間は考え方によって生き方が変わる生き物だと思っています。昔から哲学者や科学者がたくさんの素晴らしい生き方を伝えています。先人の生き方の知恵や今の人の知恵を学び,自分の生き方に活かせたらと思います。

Hiro
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最後まで読んでいただき,ありがとうございました。

 

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