
竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解けるー文明・文化篇』を読みました。私が今までに読んだ本の中で感銘を受けた本の1つなのは,間違いありません。

いつもと同じように,いくつかの問題に答えていただきながら本書の内容に迫っていきたいと考えています。問題の答えはすべて,竹村公太郎さんの考えですので,気楽に答えていただければと思います。よろしくお願いいたします。

本書は,全部で18章あります。その中から今回特別に,私が厳選して5つの問題に絞ってみました。きっと,あなたにも新しい発見があると信じています。期待してください。

19世紀中頃,世界各地を植民地にした欧米列国が,一斉に日本に押し寄せてきました。鎖国していた日本は欧米列国に囲まれ,植民地化の絶対絶命の危機を迎えました。その日本は植民地化されず,徳川幕藩体制から国民国家へ見事に変身して,世界最後の帝国国家に滑り込んでいきました。

早速,ここで問題です。


正解は,ア・イ・ウ・エ,のすべてです。欧米の植民地になった国々や地域はある共通点を持っていました。アフリカは奴隷の宝庫でした。象牙や金,ダイヤモンドなどがありました。東南アジアには,ゴムの木があり,綿花や紅茶,香料のプランテーションに適した土地があり,従順で勤勉な労働する人がいました。さらに鉱物資源や石油もありました。南太平洋には,青く透き通る海の島々が点在していました。その島々には,サーバントとして仕える温和で素直な人々が住んでいました。

日本には資源がなく,広大な土地も暖かいリゾート地もありませんでした。高い教育を受けた好奇心旺盛な人々はいましたが,奴隷にする人々はいませんでした。アヘンを売り付ける人々もいませんでした。この日本列島には欧米人の欲望をかき立てるものはありませんでした。日米和親条約締結後の5年間,日本列島の災害は欧米人を恐怖のどん底に落としました。この災害列島に欧米人の欲望は萎えていきました。

さらに,欧米やロシア人にとって,日本列島の地震や水害の自然災害だけが厄介者ではありませんでした。日本列島の地形そのものが,彼らにとって耐えがたいほどの厄介者となったのです。日本列島の70%の山々と10%の湿地帯が,欧米列国が得意な騎馬軍団の登場を許さなかったのです。

薩英戦争では,あの清国を完膚なきまでに打ち砕いた英国艦隊は,一地方の藩の薩摩藩に勝てなかったのです。また,下関戦争では,結局,英国陸戦隊は下関を制圧することはできなかったのです。この日本列島の気象や地形の自然が,欧米列国から日本を守ったのです。下の写真は,英国陸戦隊の長州上陸作戦です。進撃する英国陸戦隊の先には,うっそうとした山々が控えています。その山に向かう地形の中央には棚田が広がり,左右にはすぐ林が迫っています。この図の地形は,日本人には見慣れている地形です。ところが,欧米人にとっては見たこともない,経験したこともない地形だったのです。


1869年に東京横浜間の鉄道施設が決定しました。1872年,新橋で汽笛一声が響き渡りました。それは,日本人が慣れ親しんできた多様な地域ごとの社会への離別を告げ,東京一極集中の近代文明への号砲でした。

ここで,問題です。


正解は,イ.水道水の塩素殺菌が実現したから,です。明治20年(1887年),横浜市で日本最初の水道が給水開始されました。その後各地で次々と水道が開始されました。水道が普及しても大正10年(1921年)までの35年間,殺菌されない水道水が配水されていました。下のグラフを見てください。


水道が普及するのに伴い,乳児死亡数が増加しています。大正10年に水道の塩素殺菌が行われると,一転して乳児の死亡数が減少していることがわかります。実は,この塩素殺菌実現には,あるドラマがあったのです。それは,

それでは,いったい誰がこの毒ガス兵器を民生に転用したのでしょうか。それは,後藤新平です。彼は,元外務大臣であり,細菌学の博士,そして当時東京市長でした。


ここで,問題です。


正解は,ウ.日本の険しい地形と湿地帯によって国土が分断されていたから,です。そのため,日本人は車を進化させずに,いつも歩いていました。だから,ア.も正解です。歩くためには荷物を少なくすることが必要だったからです。荷物を小さくすればするほどよかったのです。日本人たちは,細工されないものを「不細工」と馬鹿にし,詰め込めないものを「詰まらない」と侮(あなど)り,縮めて詰め込むことは日本人の美意識までに昇華してしまったのです。

ここで,エジプトのピラミッドに関する問題です。


正解は,ア.ナイル川西岸には堤防を必要としたから,です。おそらく,あなたの頭の中は???がいっぱいだと思います。「ピラミッドは,堤防にはならない」一般的にそう思いますよね。私も同じように思いました。「ピラミッドとピラミッドの間は何もない所があって,水は流れっぱなしになるんじゃないの?」って思いますよね。

竹村さんは,この謎を「からみ」という言葉で解明します。

なぜ,ナイル川に左岸,つまり西側だけにピラミッドを建設したのか?次の図がナイル川西岸のピラミッド群の分布です。ナイル川西岸には100基のピラミッド群が建設されています。竹村さんの本文からその部分を抜き書きします。


(略)




話をピラミッドに戻します。


ここで,問題です。


正解は,エ.これこそ,ナイル川のデルタ干拓の灯台として造られた,です。このデルタには葦が一面に茂っていました。デルタでは,水が流れてくる方向が上流とは限りません。葦に囲まれたデルタでは方向感覚が失われます。この葦の広大な(九州よりも広い)デルタでの作業には,絶対に必要なものがありました。それは,方向を見失わない灯台です。下の図は,エジプト文明のピラミッド建設とナイル干潟の関係を示した図です。


上の図で明らかなように,6000年前の紀元前4000年から海面の降下が始まっていました。1000年経った紀元前3000年にエジプト王朝が成立した頃には,潤いに満ちた干潟が姿を現してきました。古代エジプト人たちはこの干潟を干拓するためにデルタに入っていったのです。

しかし,なぜ,ギザのピラミッドは3基も必要だったのでしょうか。1基で十分だったのではないでしょうか。あなたは,どう思いますか。

ピラミッド1基だと,太陽と位置と見る方向によってピラミッドの面が影になる時間帯があります。それでは灯台の役割を果たさないのです。ピラミッドが3基あれば,どこかの面が太陽の光を受けます。ピカピカの大理石は,鏡のように光を反射させて隣のピラミッドを照らします。3基のピラミッドの光の組み合わせは,いつでも,何処からでも見ることができました。その光は,厳しい干拓に従事する古代エジプト人たちを勇気づけました。だから,ギザ台地の3基のピラミッドは,

ナイル川西岸の100基のピラミッド群は,ナイル川の堤防を形成した。ギザ台地の3基の巨大ピラミッドは,デルタ干拓の灯台でした。ピラミッドの謎はすべて解けました。

最後まで読んでいただき,ありがとうございました。読まれてみて,いかがでしたか。私は,竹村公太郎さんの「地形による」仮説の素晴らしさに思わず「ん~!」と唸ってしまいました。解決するために使う<物差し>によって,モノ(歴史や建造物など)の捉え方が今までの常識と異なるのかと考えてしまいました。このブログが,あなたに新しい視点を与えることができたとしたら,私は嬉しいです。

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