私は,教師現役のときに仮説実験授業に出会いました。仮説実験授業を実践する中で,仮説実験授業を世界中に広めたいという夢が大きくなってきました。自分にとっての仮説実験授業をみなさんに知っていただきたいと思い,TEDの原稿を書きました。読んでいただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。
TEDへの道(仮説実験授業を世の中の人々に知らせるために)
私は,教師現役のときに仮説実験授業に出会いました。仮説実験授業を実践する中で,仮説実験授業を世界中に広めたいという夢が大きくなってきました。
自分にとっての仮説実験授業をみなさんに知っていただきたいと思い,TEDの原稿を書いています。読んでいただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。
1.なぜ仮説実験授業を広めるのか
これからみなさんに私がお伝えするのは、世界の科学教育を変革できる<教育の理論>についてです。
「教育の理論って何?」と疑問をお持ちの方も大勢おられると思います。
お断りしておきますが、算数の九九の指導方法や作文の書き方の指導方法、合唱指導の方法とかそんな類の理論ではありません。
私がみなさんにお伝えしたい<教育の理論>の名前は、<仮説実験授業>といいます。
英語ではHypothesis-Experiment Classといいます。
<仮説実験授業>という教育の理論は、1963年に日本人の板倉聖宣によって提唱されました。
残念ながら板倉は2018年に亡くなりました。
提唱されてから50年以上経ちます。
素晴らしい理論でありながら日本ではまだ常識になっていません。
なぜかというと、教育の内容を根本的に変革するような内容を含んでいるために中々広まらないのです。
素晴らしい理論だからこそ、一般の人にとって非常識だからこそ、広まらないということだと思います。
今回、私が<仮説実験授業>について書くことでみなさんに関心を持っていただけたらと考えています。
私は、なぜみなさんに<仮説実験授業>を知ってほしいのでしょうか。
この<仮説実験授業>を受けた子ども達(大人でもいいのですが)が多くなれば多くなるほど<授業科学>が認識されるようになると考えるからです。
私の目標は<授業科学>を世界に広めることです。
<仮説実験授業>が生まれるまでは、<授業科学>は世界にありませんでした。
<仮説実験授業>によって<授業科学>が創造されたのです。
<仮説実験授業>がなぜ<授業科学>と言えるのか。
そして、<仮説実験授業>がなぜ世界の科学教育を変革できるのか。
私が、これから具体的に説明します。
2.仮説実験授業との出会い
具体的に<仮説実験授業>についてお伝えする前に、私と<仮説実験授業>の出会いについてお知らせします。
私は1981年に滋賀県で小学校の教師になり、6年生の担任になりました。
子どもたちにたくさんの知識を教えたい、賢くなってほしいと思いました。
学級通信を出したり、土曜日の放課後学習会を開いたりしましたが、子どもたちの反応は自分が期待していたようなものではありませんでした。
それどころか反対に「子どもたちは私の授業がつまらないのではないか」と、私には思えたのです。
私はどんな授業をしたら良いのか分からなくなりました。
自分では一生懸命教えていたのですが、どんな授業が良いのか分からないまま、ずっと教師を続けていました。
その間、教育関係の本を読んだり、いくつかの研究会に参加して勉強したりしましたが、これだと言える方法は残念ながら見つかりませんでした。
<仮説実験授業>との出会いは突然やってきます。
4年後、学校をかわって中野先生に出会いました。
ある日の放課後、中野先生は職員室に居た数人の同僚に問題を出しました。
小学生のころから私は理科が好きだったので自信をもって
「割れたレンズでは光は集められない。
仮に集めることができたとしても円い形になるに違いない」と答えました。
その後、中野先生が実験しました。
みなさん、どうなったと思いますか。
自分で考えてみてくださいね
<実験の結果>
割れたレンズは蛍光灯の光を集めることができました。
光が集まった形は、蛍光灯の形そのものだったのです。
私は、実験結果に驚きました。
もちろん,割れていないレンズでも蛍光灯の光を集められます。
私は自信を持っていたのに間違ってしまった。
そして、私が受けてきた教育は何だったのかとも思いました。
この問題は、仮説実験授業「光と虫めがね」の問題のひとつでした。
私が仮説実験授業に出会った瞬間です。
次の年の5月、私は京都のあるホテルで開催された「たのしい授業への招待」という名の仮説実験授業のセミナーに参加しました。
そこで「自由電子が見えたなら」というタイトルの仮説実験授業を受けました。
この時、仮説実験授業は本物だと確信しました。
それから自分のクラスで<仮説実験授業>を実践していきました。
実践した内容を授業通信として保護者にお知らせしました。
内容は違いますが,次のような感じです。
授業通信は最後に冊子にしてまとめて子ども達に配布しました。
今までの自分の授業と比べて、子どもたちは<仮説実験授業>を歓迎してくれました。
それから,私は退職するまでずっと実践しました。
実践する中で、どうしてこんなに素晴らしい授業が日本で広まらないのだろうかと考えるようになりました。
その理由について、<仮説実験授業>が今までの教育の常識とかけ離れているからです。
例えば、仮説実験授業では授業の良し悪しの評価は子どもたちがします。
<教師は自分の授業の評価をしません。教師は評価を子どもに聞きます。>というのが仮説実験授業のスタンスです。
また、授業をする上では、<仮説実験授業>の授業書をそっくりそのまま進めなくてはいけません。
授業書というのは、仮説実験授業を進めるための作業書や指導書のようなものと考えてください。
自分で創意工夫しなければならないと考える教師が多いなかでは、仮説実験授業は異質の授業となります。
もう一つ、日本の文科省が出している教育の基本的な指導内容が書かれている学習指導要領と関係ない形で授業書がつくられていることも理由かもしれません。
授業書は、「子どもたちに何を教えることが大事なのか」を一から考えるところから出発しています。
日本には仮説実験授業研究会があります。
仮説実験授業研究会には、約1000人の会員がいます。
日本全国の総教師数をおよそ百万人とすると、日々実践している教師はかなり少ない人数ではないかと思います。
板倉聖宣は、いつの日か仮説実験授業が日本で広まるだろうと考えていました。
しかし,私はこれ以上日本では広まらないと考えています。
そこで私は海外で仮説を紹介しようと考えました。
外国で仮説実験授業を一度広めてから日本に逆輸入しようと考えたのです。
外国の学校で仮説実験授業をしたら、もしかしたらクラスの担任または学校長に直ぐに認めてもらえるのではないかと考えました。
3.海外での仮説実験授業
当時私は小学校の教師をしていたので、自由に時間がとれるのは夏休みしかありません。
しかも自分が少しできる英語を使って授業ができる国は南半球にあるオーストラリアしかないと考えました。
すぐに仮説の仲間とともにいくつかの学校で1時間くらいの短い授業をすることができました。
出会ったオーストラリアの教師に,次のようなことを言われました。
あなた方はクレイジーだ。夏休みは休んだ方がいいよ。
アデレードのある小学校で私が授業をしていたときに、理子(仮名)さんに出会いました。彼女は、その小学校の実習生でした。
そこで、彼女に
「もしも,あなたがオーストラリアの小学校で先生になったら、その学校で仮説実験授業をさせてほしい」
とお願いしました。
私は、<仮説実験授業>「ものとその重さ」の全授業を実施してみたかったからです。
数年が経ち、運よく,ついにパースのある小学校で私は、授業ができるようになりました。
理子さんは、その学校で日本語の教師として勤めていました。
理子さんは、5年生担任のサリー(仮名)を紹介してくれました。
サリーは明るく親しみやすい女性でした。
彼女は、心やすく私がクラスで授業をすることを快諾してくれました。
忘れもしない2014年です。
彼女に6時間をいただき、私は仮説実験授業「ものとその重さ」の授業をすることができました。そのときの子どもたちのフィードバック(授業の感想)は自分にとって、忘れられないものとなりました。
日本への帰りの空港で子どもたちの感想を読み返して、仮説実験授業の素晴らしさの余韻に浸っていたのをついこの前のように思い出します。
その時の子ども達の感想です。本文はもちろん英語ですが,ところどころ日本語があります。その学校は日本語の授業をしているので,子ども達は日本語も少しはできるのです。
この中でトーマス(仮名)が書いたフィードバックがこれです。
-
I found these lessons very enjoyable! These lessons were very interesting. I found out a lot more about weight than I already knew. It seemed like at first that “Oh we’re doing weight so what? I already know that stuff”, but then when we started it was so interesting and I found a lot out! Thomas A
彼は、「重さについては学習していて、すでに知っている。だから何で?」と思ったそうです。
しかし、私の授業で多くのことを学んだと書いています。
彼が何を学んだのかは書いてないので残念なのですが、彼は重さについて一度学習したにもかかわらず、もっと多くのことを学んだことになります。
しかも、彼はとても楽しく学んでいます。
名前の後にAと書いてありますが、トーマスが「この授業がとても楽しかった」を選んだことがわかります。
子ども達には,私の授業について
-
A:とても楽しかった
-
B:楽しかった
-
C:どちらとも言えない
-
D:つまらなかった
-
E:全然つまらなかった
以上5つから選ぶようにお願いしています。
トーマス(仮名)は,<A:とても楽しかった>を選んだということです。
このことは子ども達にとって仮説実験授業が従来の授業よりも程度が高いことを意味しています。授業の程度が低いと子ども達は学ぶことに飽きてしまうのです。
他の子ども達のフィードバック(感想)を読んで、みなさんはどんな感想を持たれましたか。
(他の子ども達の感想は,別のページに載せています)
遠い日本から来た先生に対してお上手を言っているのでしょうか。
そんなことはありません。
それは、日本の子ども達のフィードバック(感想)とすごく似ているからです。
オーストラリアでも子どもたちの評価は日本とほとんど同じだったのです。
私はうれしくなって、この結果をすぐに校長先生に見せました。
校長先生には、「素晴らし授業ですね」と言ってもらえるかなと思ったのですが、残念ながら私が期待するような反応ではありませんでした。
これまた日本の一般の先生達と同じような反応だったのでがっかりしました。
世界中の先生達に伝えるのに一つの実践だけでは信用されないと私は考えました。
そこで、もう一つ事例が欲しいと考えアメリカで授業をすることにしました。
たまたま、学校の同僚の友だちがミシガン州の小学校で先生をしていたのです。
その先生に連絡をとって、アメリカのミシガン州の小学校で授業をする機会に恵まれました。
迷惑がかかるかもしれないので,学校の名前は伏せておきます。
一応N小学校とさせてください。
5年生と3年生に「ものとその重さ」の授業を実践することができました。
N小学校では、英語と日本語の2言語で授業をしています。
そこで、私は日本語で授業をすることにしました。
そのクラスに日本語があまり得意ではない子どももいたりして、私にとって分かりやすい授業を進めることはかなり難しかったです。
最後に授業のフィードバック(感想)をかいてもらいました。
オーストラリアとアメリカの小学校、3クラスとも仮説実験授業に対する<楽しさ度>を聞いています。
仮説実験授業では、子ども達の授業に対する<楽しさ度>を聞くことがルールになっています。
そして,授業の成功の良し悪しは、子どもに聞くことによって判断します。
この3クラスの子ども達は、「ものとその重さ」の授業を楽しんでいることがわかります。
授業最後の日、N小学校の先生や校長先生の前で<仮説実験授業>について話をする機会を得ました。
話し終えたあと、またしても私が期待していたような反応は得られませんでした。
自分は、<仮説実験授業>は素晴らしいし、授業科学を創造できると思っているのですが、なかなか認めてもらえませんでした。
それは、仮説実験授業には<授業書>があるからです。
この<授業書>があるから、熱意のある先生であれば、だれでも<仮説実験授業>ができることになります。
<仮説実験授業>をすれば、いつでもどこでも同じような期待する結果を得ることができるのです。
そうです、板倉聖宣は<授業科学>を創造することに成功したのです。
これから先、<仮説実験授業>が少しずつ広まっていく間に、世界中の教育関係者によって検証されると考えています。
<仮説実験授業>は<授業科学>と成り得るかということについてです。
そして、検証された後に<仮説実験授業>によって<授業科学>が証明されるはずです。
仮説実験授業を提唱した板倉聖宣は,科学者が長い時間をかけて発見した法則や概念を歴史から学びました。
科学者はどうやって法則や概念を発見したのか、どんな視点を持ちどんな考え方をしたのか詳しく研究しました。
その研究成果を授業という形に変えて教育の世界に持ち込むことに成功しました。
ここに「ものとその重さ」の<授業書>があります。
私はこの授業書に沿って授業をしました。
英語があまりできない私でさえこの<授業書>のおかげで進めることができました。
つまり、どの先生が授業をしてもこの<授業書>があれば、安心して授業を進めることができます。
しかも、素晴らしい子どもの感想が得られます。
<仮説実験授業>ではない普通一般の授業は、今まで科学ではありませんでした。
教える先生と内容によって授業の結果が大きく異なることが多かったからです。
しかし、この<授業書>によって、先生による教え方を同じように統一できるようになりました。
4.人の認識を変える意義
人間の認識についてお話をします。
具体的な問題があったら、それについて自分自身の判断を下してみて、クラスメイトの判断と比べてみます。
そして実験してどの判断が正しいのかを確かめます。
いくつかの関連する問題を解いていくと何となく自分の中に<例えば、重さはモノの形が変化しても変わらないようだ>みたいな仮説のようなものが芽生えます。
一連の問題群によって科学者が発見した法則のプロセスと同じようなプロセスを子ども自身が経験することになります。
問題を解く間に自分の考えで実験結果を間違えてしまう場合は、自分の考えを変えなくてはいけなくなります。
「どういう考え方が正しい」のかということは実験で確かめていきます。
一連の問題群を解くことによって、例えばガリレオのような考え方ができるようになるのです。
つまり<仮説実験授業>をすることによって、子ども達は科学を信用するようになるのです。
決定的に大事なことは自分で予想して、自分で実験結果を知るということになります。
また、「仮説実験授業」では討論が行われます。
どんな意見であろうと最後は実験で決着がつきます。
なので、子どもたちはいろんな意見を大事にするようになります。
一人ひとりの考えの良さに気づき他人のすばらしさに気づくことができます。
もしも世界中のすべての学校で<仮説実験授業>が実施されるようになればヒューマニズムが広がり、世界平和にも貢献できるはずです。
<仮説実験授業>を受けることによって、いつのまにか<仮説実験的認識>を体得できるようになるからです。
繰り返しになりますが、人間にとって決定的に大事なことは、自分で予想して、自分で実験結果を知るということです。
このことによって真実を自分で手にいれられるということです。
これが<仮説実験的認識>です。
そして一歩ずつではありますが、<授業科学>が認知されるのと同じように世界平和は実現されていくと堅く信じています。
5.歴史は多くの一般人によって創られる
今は全く知られていない<仮説実験授業>ですが、これから少しずつでも世界中の人々に知られ、実践されていくことを願っています。
<仮説実験授業>が世界に広まるのは、まだ時間がかかりそうです。
これからテクノロジーがますます発達していくでしょう。
いくらテクノロジーが発達しても、人間は科学的理論や概念を生まれながらに考えられるわけではありません。
特に基本的な科学的理論や概念は、一人ひとりが一から学ばなくてはいけないのです。
全ての人は、自分の直感と理論と比べて、理論の方がよいということを自分自身が納得しないことには身につかないのです。
これから先<仮説実験授業>の役割が大きくなることは避けられないと、私は考えます。
遠い将来、どの国の学校教育も<仮説実験授業>を実施するようになるでしょう。
<仮説実験授業>は今の教育問題を解決できるので、そうならざるを得ないからです。
<仮説実験授業>が広まる期間が短くなるように私の時間が許す限り、活動していきたいと思います。
<仮説実験授業>を一度経験したいという方は、<お問合わせ>から申し込んでください。
<仮説実験的認識>について、詳しい説明はしませんでしたが<仮説実験授業>を体験することで<仮説実験的認識>は理解できると考えています。
<仮説実験授業>は民主的な社会を育て、ヒューマニズムの考えを広めるのに役にたつでしょう。
<仮説実験的認識>が広まることで、いつの日か<世界平和>が訪れるかもしれません。そんな日が来るときには,残念ながら私は生きていないと思います。
最後まで読んでいただき,ありがとうございました。
毎日の生活に疲れたら,温泉旅行でほっこりしませんか。
よかったら,下のサイトからどうぞ。
心も身体もリフレッシュしましょう!