ヒロじい教えて!言葉(言語)について

じゅんくん、久しぶりだけど元気にしてたかな?

ウン、じいじも元気そうだね。

元気だけど、体力が落ちてきて嫌になっちゃうよ。好きな海外旅行ができなくなってね。寂しいよ。

じいじは英会話できるでしょ。どうして英会話ができるのか教えて。

いいとも。

じいじが若い頃、中学生や高校生の頃はもちろん英語の勉強があったよ。今は小学生でも英語の教科があるらしいね。

そうだよ。嫌になっちゃうよ。英語なんて覚えることがいっぱいで面白くないよ。

じいじと一緒のことを言ってるわね。

じいじも英語が大嫌いだったんだ。英語のテストの点数も悪くてね。いつも20点くらいだったよ。100点満点でだよ。

僕はもうちょっと点数取れてるよ。

じいじより賢いじゃん。じゃあ大丈夫よ。

私がなぜ英会話を勉強するようになったか。それは、夢ができたからなんだ。志(こころざし)と言い換えても良いかな。

志?

そうだよ。人間は志を持つことが大事なんだ。

じいじの志は、仮説実験授業を世界中に広めることさ。

何それ?

仮説実験授業というのは1964年に板倉聖宣が提唱した科学の授業のことさ。簡単に説明すると、授業書にそって授業をすると情熱がある先生であれば、ある一定以上の成果が必ず得られるという授業さ。

何かわかんないなあ。

一度、仮説実験授業を受けてみたらすぐわかるけど、文章だけではなかなかイメージできないと思うよ。

仮説実験授業ができる前までは、授業は科学的ではなかったけど、仮説実験授業によって、授業が科学教育と呼べるまでレベルアップできたのさ。まあ、とてつもない大きな思想だとじいじは,思ってる。

思想?授業じゃないの!

授業なんだけど仮説実験的認識論も理解できるようになっている。とにかく世界の科学教育を一新するような、革命できるようなすばらしいものなんだ。

そんなにすばらしいものをなぜ学校でやってないの。ぼくは初めて聞いたよ。

そこだよ。だから、おじいさんは一度仮説実験授業を海外に持ち出して、海外で認められて、日本に逆輸入しようと考えたのさ。

あ~、だから英語の勉強をはじめたんだ。

That’s right!

その通りさ、英語の勉強は嫌だったけど、仕方ない。大好きな仮説実験授業のためさ。がんばったよ。

それで英会話できるようになったんだね。よくわかったよ。

ところが、英語の勉強をするうちに英語の勉強って大事なんだとわかってきたんだ。

その話をしてもいいかい。時間はあるかな?

ウン、大丈夫だよ。おもしろそう。

人類の歴史の中で、最初に科学が生まれたのはどこの国だと思う?

ギリシャでしょ‼

正解!すばらしい。

日本の多くの科学者は、<古代ギリシャの科学はたいしたことなかった>って言っているけど、そうでもないんだ。

ギリシャ人は、全てのものは原子でできていると考えていたし、物体には重さがあり、その重さは勝手に増えたり減ったりしないと考えていたんだ。真空さえイメージしていたんだよ。

その古代の科学は時代が進むにつれて忘れ去られ、キリスト教が力をもった中世は宗教が強い、民衆にとって暗黒の時代だったんだ。でも1600年代のルネッサンスの時代になって、科学が復活した。原子論の復活といってもいいね。

その時代は、ニュートンやガリレオが活躍した。

当時は、学問の言語はラテン語だった。学者はラテン語を学んだ。論文はラテン語で書かれた。しかし、ニュートンやガリレオは違った。ニュートンは英語で、ガリレオはイタリア語で論文を書いた。つまり、民衆に向けて自分の考えを発表したんだ。

民衆の時代のはじまりだ。

その後、イギリスが海軍力をもとに世界中を席巻するようになる。この頃から英語が世界中に広まりはじめる。英語は簡単な言語のひとつだから、話しやすかっただろうね。そして、世界の言語が英語を中心になっていったというわけさ。

どうかな、これまでのことはわかったかな?

ウン。だから英語はいろんな国々でつかわれているんだね、じいじ。

そうだね。今では論文などもみんな英語で書いてあるよ。世界中の人に読んでもらおうと思ったら、英語で書かないといけないんだ。でも板倉さんは英語で論文は書かない。日本語でしか書かないと言った。ガリレオみたいにね。板倉さんも民衆に対して発表したんだ。

板倉さんの考え方はすばらしいよ。仮説実験授業を学びたいなら日本語を学びなさいとまで言っているんだ。かっこいいよね。じいじは、そんな板倉さんが大好きなんだ。

じいじは仮説実験授業を世界に広めたかった。だから仕方なしに英語の勉強をはじめたんだ。板倉さんには悪いけどね。

そんなことないよ、世界中の人も英語で書いてある方が仮説実験授業の勉強をやりやすいと思うよ。

ありがとう。じゅんくん、なぜ英語を身につけることが必要かというと、英語が世界の共通語になっているからだよ。英語ができると世界中の人々と話しができる。自分の言葉で議論ができるんだ。これは大事なことさ。

でも忘れていけない大切なことがある。それは、この世の中は、すべてが言葉(言語)によって動いているということだ。

例えば日本という国に住む住民は日本の法律に縛られながら生きている。ということは、日本人の行動は法律によって規制されているということだ。法律は文章(言葉・言語)でできているからね。

人が相手に何かを伝えようとしたり、何かを生産したり、学んだりするときも全て言語に頼っている。言語がなければ、人は考えることさえできなくなってしまう。考えることさえではなく、全てのことができなくなってしまうのだ。夢さえ描くことができなくなる。人は言語によってものごとを認識し、言語によってものごとを考え、理解し、行動に移しているのさ。

先人の知恵や知識も言語によって引き継がれている。今、動いているものすべてに言語が関わっていることを知ったとき、言語が果たす役割は、想像以上に大きなものであることが認識できるはずさ。

だから言語を大切にしなくてはいけない。日本人は日本語を大事にしないといけないよ。日本人は日本語によってつくられるんだ。日本人であることの定義は、日本語を使えるかどうかだ。日本語を使うことができれば、その人は日本人と言って良い。日本語をより理解するために外国語を学ぶ必要がある。外国語を学ぶことによって、日本語を立体的に理解できる。立体的に理解するとは、日本語を文法と歴史の観点から学ぶということだ。外国語というフィルターを通して見た日本語は、今までの日本語を違った観点から見ることができるようになり、より深く学ぶことができると思うよ。

もう一つ言語の大きな役割があって、例えば学校でいじめがあったとするよね。いじめを解決しなくてはいけないよね。その時に言語が役に立つのさ。

え~、どういうこと?いじめと言語ってどんな関係があるの?

いじめの実態がどんなものなのか言語化しないといじめに関わる全ての人が理解できないんだ。いつ、どこで、どんな内容でいじめがあったのかの言語化、つまり文章にしないといじめの実態が把握できない。いじめの実態がわからないのにどう対応したら良いのかもわからない。実態がわかって、初めていじめを無くすための対応ができるというわけさ。もちろんこの対応も言語化しないといけない。言語化することによって人は物事を深く理解することができる、しかも言語を読むという活動を通して、瞬時に何万人という多くの人がいじめについて同じように理解できるというわけさ。

じいじ、言語ってすばらしいね。

そうだよ。言語を学ぶということは、地球上の全てのことを学ぶことができるということなんだよ。いや、宇宙空間の過去から未来さへもすべて学ぶことができるはずさ。

じいじ、僕、日本語と英語の勉強がんばるよ。

もしかしたらじゅん君、じゅん君は男前だから外国のおねえちゃんのガールフレンドができたりしてね、フフフ。

やめてよ!

Just joking! はっ、はっ、はっ(高笑)。
最後まで読んでいただき,ありがとうございました。
たまには,旅行にでもいけたらいいですね。