例会の後、考えてみたこと

仮説実験授業
Hiro
Hiro

ボクは,よく忘れる。

Hiro
Hiro

一度感動的に学んだことでさえ1年後には忘れてうるということはざらにある。

Hiro
Hiro

忘れられるから新しいことを覚えたり、辛いことも忘れたりできるのだろう。久しぶりの例会(仮説サークル)で私の頭はフル回転で、例会(仮説サークル)の良さを感じた。その中で特に気になったことを書いて、忘れないようにしたい。

  • 事実をもとにしてウソをつくことは可能である。

 例えば、江戸時代に幕府は農民に対してあわ・ひえ・麦を食べるように<お触れ>を出している。歴史学者は、この<お触れ>から農民は米を食べられていない、と結論づけた。
 しかし、板倉聖宣は質量保存の法則を社会にあてはめて、これが間違いであることを証明した。事実をもとに考えても意間違えることがあることを認識しなくてはいけない。従って、原理原則をもとに考える。仮説実験的に考える。原子論的に考えることが必要になる。
  • 模倣を目的とした教育と創造を目的とした教育の内容は、天と地の違いがある。

 模倣をする場合は、何を模倣するのか目指す方向が決まっているので何をしたら良いのか簡単である。そこにモデルが存在するからだ。また、評価をすることも簡単である。できたか、できていないかで良い。
 しかし、何かを創造するとなるとかなり難しい。そもそも目指すべきモデルが存在しないのであるから手当たり次第にやってみるしか方法はない。何が良いのかわからないからである。
 評価も簡単ではない。簡単に評価できるものを創造的といえるだろうか。本当に創造的なものは、一般の人々には全く受け入れられないのかもしれない。だがしかし、時がたてばなるほどと納得できるものであるに違いない。真に創造的なものは、時間がたたないと理解できないのだと思う。
  • 仮説実験授業が成し得てきたことは、3つある。

    一つ目は、授業を科学にしたこと。普段の授業を授業科学として取り組めるようにしたこと。それは授業書によって可能になった。つまり熱意がある教師であれば、授業書通りに進めるだけで、授業ができるようになった。これは授業の歴史的な大変革だと言って良い。
  二つ目は、評価基準を定めたこと。授業の善し悪しを子どもに尋ねることによって授業の成否を判断(評価)する。子どもが楽しかったかどうかという感情の判断規準を授業の中に持ち込んだ。子どもの内発的な動機を大事にするという点で優れている。創造的な教育をするならば、楽しくなくてはいけない。楽しい授業は子どもの学習への動機付けを可能にした。逆に今までの授業は外発的な動機付けによって授業がなされてきたということができる。
    三つ目は、一つ目と重なるが、教える内容によって、例えば<重さの概念>とか<静力学の概念>などの教え方のモデルを全く、新しく作り直したことである。今までの指導方法を子どもの認識に合わせて、押しつけがなく納得できるような授業書の形で提出したことである。
Hiro
Hiro

この3つの授業の改革によって、

教育は大きく成長することになるだろう。

Hiro
Hiro

仮説実験授業によって、国語や社会、算数までも大きく変わり始めている。この流れを世界的な規模にまで大きくして、人類の英知を仮説実験授業に集めることで教育の変革を進めていきたい。

Hiro
Hiro

世界中の子ども達が仮説実験授業を学ぶことによって、人類に恒久的な平和をもたらすことを夢みながら一歩一歩着実に進めていこう。

Hiro
Hiro

最後まで読んでいただき,ありがとうございました。

Shige
Shige

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