井沢元彦著『逆説のニッポン歴史観』の紹介
私は,これまでの日本政府に対して疑問に思うことがいくつかあります。
例えば,先の大戦でアメリカには負けるだろうと分かっていたのに日本が大東亜戦争につき進んでいったのは何故か,また戦争が終わって70年以上も経つのにアメリカの軍部に未だに支配されている日本政府は,何の対応もしないのは何故か,今の自衛隊と日本国憲法第9条の整合性を昔から問われているのに何の議論もしないのは何故か,等私は気になってしようがありません。
本来なら国民一人ひとりは政府に国の方針を任せて,各人は自分のできる仕事を全うすればそれでいいと思うのですが,この国の政府は日本国のことを考えていないような気がするのです。政府は国民の代表ですから,こんなだめな日本国政府にしているのは国民の責任であると言えるかもしれません。
日本は,現在アメリカの軍部に支配されています。日米合同委員会が月1回東京で開かれています。委員会に参加するアメリカ人は,日本の入国審査を受けず,税関もフリーパスで日本に入ってきます。日本から出る時も,何の制約もありません。法治国家ではあり得ない状態なのです。
そして,日米合同委員会で決まったことは,日本国憲法より上の概念に属します。よって,日米合同委員会で決まったことは日本国憲法の制約を受けないのです。悲しいかな,今の日本は,アメリカの完全な属国なのです。
アメリカの軍は,アメリカの憲法や法律に縛られています。なので,日本はアメリカではないので,アメリカの軍は何をしてもOKになっています。戦闘機が日本の市街地を低空飛行で飛ぼうが,戦闘機が日本のどこかを自由に飛ぼうがおかまいなしです。それは,日本の敗戦から始まりました。
勘違いしないでください。アメリカでは,戦闘機は市街地の上空は飛べません。法律で禁止されているからです。アメリカでは,戦闘機は天然記念物などの上空,つまり法律で禁止されている地域では飛べません。法律で禁止されているからです。日本の上空は,アメリカの法律では禁止されていません。なので,アメリカ軍の飛行機は日本の上空であればどこだって飛ぶことができるのです。
なぜこんな日本になったのか,この本『逆説のニッポン歴史観』を読んで私は,少しわかったような気がしました。
井沢元彦さんが書いた,『逆説の日本史』(十何巻もあるのにまだ1巻も読んでいませんが)を読むと,めちゃくちゃ面白いです。「歴史ってこんなに面白いのか」と唸ってしまいました。邪馬台国,卑弥呼の自分なりのなぞがなるほどなるほどと,私は興味津々です。
このレポートでは,「和の精神」の弊害という一点のみで書いてみたいと思います。井沢さんの本の中からの設問をみなさんも考えてみてください。
ここで,井沢さんの問題です。次の文章を読んでから問題を解いてみてください。よろしくお願いします。
「和の精神」の弊害(『逆説のニッポン歴史観』P.337からの抜き書き)
日本を歪める「話し合い絶対」文化
冒頭から恐縮だが,次の問に答えて頂きたい。
「<・・・・・・・・ところが人にはそれぞれ党派心があり,対局を見通している者は少ない。だから主君や父に従わず,あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。しかしながら,人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば,ことがらはおのずから道理にかない,何ごとも成しとげられないことはない。
重大なことがらはひとりで決定してはならない。かならず多くの人びととともに議論すべきである。(中略)多くの人びととともに論じ是非を弁(わきま)えてゆきならば,そのことがらは道理にかなうようになるのである>
問1.この文章の内容を最も正しく要約したものを次の1から3の中から選びなさい。(50点)
- 1.物事は皆で話し合うことが大切で独断はいけない。
- 2.人は,君主や父など目上の人には,絶対に服従すべきだ。
- 3.仏教こそ根本の真理である。
問題2.・・・・・・の中に文章を入れるとしたら,次のうち何がよいか。(50点)
- A.人はよく話し合うべきだ。
- B.人は目上の人の命令をよくきくべきだ。
- C.仏教を信仰すべきだ。
問2の方はそれほど難しくない。人によっては「B」を選ぶかもしれないが,もちろん正解は「A」である。
「簡単じゃないか。問1.も答えは『1』に決まっている」という読者の声が聞こえてきそうだ。実は「1」ではなく「2」なのだ。そんなバカなと思うかもしれない。正確に言えば答えは,本当は「1」が正しい。だが,今の歴史教科書では「2」が正解になる。
「何を言っているんだ,この筆者は」と思われるかもしれないから種明かしをしよう。
実は,この文章は今の高校の日本史では必ず習うはずの「十七条憲法(憲法十七条)」なのである。前期のものはその現代語訳(『日本の名著 聖徳太子』中央公論社刊)だ。その第一条と最後の第十七条を一部省略して連結したものなのである。・・・・・・・の部分を原文でいうと「和をもって尊しとなし逆らうことなきを宗とせよ」となる。
高校生用の教科書では,十七条憲法について次のように説明されている。
そして,「十七条憲法」そのものは,次のような形で引用されている。
「憲法十七条
一に曰く,和を以って貴しとなし,さかふること無きを宗とせよ。
二に曰く,篤く三宝①を敬え。
三に曰く,詔(みことのり)②を承りては必ず慎め。君をば則ち天(あま)とす,臣をば則ち地(つち)とす。
十一に曰く,功過③を明に察(み)て,賞罰必ず当てよ。
十二に曰く,国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ),百姓(おおみたから)に斂(おさ)めとる④ことなかれ。国の二(ふたり)の君なく,民に両(ふたり)の主なし。
率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)⑤,王(きみ)を以て主となす。
十七に曰く,それ事は独り断(さだ)むべからず。必ず衆(もろもろ)と論(あげつら)ふべし。(『日本書紀』,原漢文)
①仏教。②天皇の命令。③功績と過失。④税を不当にとる。⑤すべての人民」(『山川出版社より引用』)
つまり,現行の教科書を読む限り「聖徳太子は十七条憲法で天皇への服従を強調した」ということになる。
だから“正解”は「1」ではなく「2」なのだ。
一体なぜこんなことになってしまったのか。聖徳太子の真意は明らかに「第一条」と「第十七条」で強調されているように「何事も皆で話し合って決めよ」であって「命令に絶対服従せよ」ではない。
なるほど確かに第三条には「詔(天皇の命令)を受けたら必ず謹め(従え)え」とある。しかし,それは第三条(三番目)であって,一番大切なことは日本では最初(第一条)か最後(第十七条)で言う。その両方ともが「とにかく話し合いで決めよ」と述べているのだから,聖徳太子の真意は「天皇の命令」(第三条)よりも,「仏教」(第二条)よりも,日本で一番大切なのは「話し合い」あるいは「和(協調),話し合いによる合意」であるということなのである。
この体質が生み出す最大の問題は何か?
それは,日本人は何事も話し合いで決め,合意を持つことが最善と考えているから,緊急非常の時でも話し合いにこだわるため,迅速な決断ができないということ。そして,少しでも反対者がいれば何もできず,できたとしても「皆で決めた」という形をとるから責任が誰にあるか明確でなくなることだ。
そして,実はこれは古代だけの問題ではない。日本ではずっとそうなのだ。
たとえば,近現代史において,特に戦前の日本(大日本帝国)は,天皇絶対の国家で,何事も天皇の決断によって行われた。だからこそ,戦争責任は天皇にあるのだ。という「歴史的常識」がある。
しかし,私はこの常識も間違っていると思う。
米英の両大国と戦うのは自殺行為でした。なぜ合理的な判断がなされなかったのでしょうか。
北岡氏は日本政治外交史が専門の学者だが,肝心なことは,戦前の日本も今と同じで「国家の運命よりもセクションのメンツ」,つまり「国益よりも省益」あるいは「行革よりも族議員の意向」の方が「優先された」社会であったことだ。
※
自分の言葉で今の日本を簡単に言うと,次のようになるのかもしれません。
-
日本人は,和を尊ぶために話し合いによって事を決めようとする。そのため,話合いによる決定なので,その結果については,だれも責任を取ることはない。
-
日本人は昔から言霊的発想をする。日本人は,言ったことが本当になると考えているので,日本にとって悪いことについて,考えて言うことはいけないことになっている。例えば,「戦争になった場合は,我々日本人はどうするのか」とか「憲法9条と軍隊の関係を考えよう」などの意見を言ってはいけないことになってきた。
-
日本人は,日本国のほとんどのことを自分自身で決められない。すべては,誰かが決める。外国が決める。国連が決める。ことになっている。
少しずつ日本の現状がわかってきました。昔から島国であり,災害が多く,四季があり,水の豊富な国だからこそ,今の日本人気質が生まれたのかもしれません。
もしかしたら,こんな日本だからこそ国民は今,幸せに生きることができるのかもしれません。それこそ,「逆説の日本の歴史観」です。
近い将来,アメリカや中国,ロシアなどの国益の争いに巻き込まれて,ひどい目に合ってやっと目が覚めるのかもしれません。私は,残念でありますが,いつまで経っても日本人気質のままのような気がします。それが,いいのか悪いのか,だれにも分かりません。
最後まで読んでいただき,ありがとうございました。