1.<お金2.0>とは何か
Hiro
私は<お金2.0>という本を読む機会を得ました。この本の中から気になる部分を抜き書きして私の考えを書いていくことにします。薄青が著者である佐藤氏の書いたものです。
Hiro
「世界を変える」とは、前時代に塗り固められた社会の共同幻想を壊して、そこに新しい幻想を上書きする行為も他なりません。国家、通貨、宗教、偏差値、学歴、経歴、年収、資産、倫理、権利など、私たちの精神や行動を縛る概念のほぼ全てが人工的に作られた幻想ですが、これらの効力が薄れ、時にはまた別の幻想が誕生し、人々の新たな価値判断の基準になっていきます。
アメリカや中国で商売をしていると、変化が激しく、お金・人材・情報もすごい速度で動いています。特にアメリカは大量の移民を受け入れ、経済も自由競争を推奨し、雇用の流動性も高めることで強制的に新陳代謝を上げて世界最大の経済大国に成長しました。あらゆるものの流動性が高いことに気づきます。一方で成長が止まった国(例えば日本や韓国)を見ると、資本や人材や情報の流動性は高くありません。つまり、社会の循環が止まっています。大企業はずっと大企業ですし、年功序列と終身雇用が前提、資本や人材の流動性を高めないように設計されています。
Hiro
※日本の江戸時代後半と同じと考えていいのかなあ?明治維新になり、ほとんどの制度の自由化によって社会が再度発展しました。失われた30年という表現があるように、今は停滞の時代と言われています。経済成長率も日本は低いまませす。もし,もう一度日本が経済成長を遂げられるとすれば、何が必要なのか?あなたは,どう思いますか。
Hiro
※人口は減っているし高齢社会だし、良い材料はほとんどないですね。日本の若者は現状に満足しているし、日本の社会は住みやすいし、日本を変える必要性が見あたらないです。このままずるずると日本経済が縮小して、世界の中の小国になっていくのか。それともAIやロボットの活躍社会を実現して、再び経済成長するのか。日本は今、大きな岐路に立っているのでしょうか。あなたは、どう考えますか?
Hiro
※私は、日本人の国民性からするとあっと驚く何かが(それが何かはわかりませんが)出てきて、世の中を変えていくような気がします。それは一つではなく、かなりの数のものです。建築関係からネット関係までの何か、あるいは経済の仕組みかもしれません。
Hiro
※近い将来大きく世の中が変わるような気がします。今は、じっと成長を待っている段階です。そんな気がします。その中に教育が入っているのか、入っていないのか。それもわかりません。
お金や経済の世界において大きな変化の流れとはなんでしょうか。それは、あらゆる仕組みの「分散化」です。「分散化」とは一部の業界を除いて会話で使われることは滅多にありませんが、これは既存の経済や社会のシステムを根本から覆す概念です。
例えばUBERやAirbnbなどの「共有経済(シュアリングエコノミー)」がそうです。仮想通貨やブロックチェーンなどを活用した「トークンエコノミー」、YouTuberやインフルエンサーとファンが作る「評価経済」などです。この3つは全く別のもののように見えますが、度合いは違えどそれぞれ分散化が引き起こした流れの一部です。
世の中に膨大なデータが溢れたことで進んでいく「自動化」と、ネットワーク型社会に移行することで起きる「分散化」という2つの大きな流れは、今後の10年を考える上で非常に重要になります。この2つが混ざった時に起こる「自立分散」というコンセプトが、多くの産業のビジネスモデルを覆すことになると私は思っています。
経済を作るのは国家の専売特許でした。造幣局を作って金銀銅から硬貨を製造し、偽造が難しい技術を織り込んだ紙幣を大量に発行して、中央銀行が通貨供給量をコントロールするなど、経済を作るには膨大なコストと権力が必要でした。今はスマホやブロックチェーンなどのテクノロジーを使えば、個人や企業が簡単に通貨を発行して自分なりの経済を作れてしまいます。
ブロックチェーンを活用すれば価値を移転する際に発生する利益もネットワーク全体に保存されるため改ざんも困難です。つまり、今目の前で起きているのは「経済そのものの民主化」なのです。今日のテクノロジーによって「経済の民主化」が進み、万人が経済を自らの手で作れるようになると、今私たちが考えている以上に社会は大きく変化していくでしょう。
Hiro
※投資ファンドの自動化のようなことは想像できるけれども、その他にどんなことができるのか私には想像できません。日本の社会をこの「自立分散」という考え方で、高齢社会を乗り越えるために変えることはできないでしょうか?商店や介護の自立分散化って何だろう。どういうイメージだろうか?
実際に私たちが生活している経済は少なくとも2つの性質の異なる経済が混ざり合ってできています。
労働をして給与をもらい、コンビニに行ってお金を払うという一般的な経済は、「消費経済(実体経済)」と呼ばれています。大半の人はこの経済の中で生きているはずです。
もう1つが、お金からお金を生み出す経済、これは「資産経済(金融経済)」と区別されています。ただ世の中に流通しているお金の流れの9割近くは資産経済のほうで生まれています。この1割ほどの消費経済の上に、9割の資産経済が乗っかって、全体の経済が成り立っています。
資産経済は消費経済からの金利や手数料で成り立っているため、消費経済が少し変わるだけで大きく動いてしまいます。一方で、資産経済はどんどん拡大を続けていて、世界中で金融マネーは投資先を探してさまよっています。資産経済の占める割合が大きくなりお金は色々なところに停滞し始めており、むしろ投資先の方が枯渇している状態です。
資金調達が容易な環境にあるため、相対的にお金の価値そのものが下がり続けています。逆に増やすことが難しい、信頼や時間や個性のようなお金では買えないものの価値が、相対的に上がってきているとも言えます。
今起きていることは、お金が価値を媒介する唯一の手段であったという「独占」が終わりつつあるということです。価値を保存・交換・測定する手段は私たちがいつも使っているお金である必要はなくなっています。
例えば、貯金ゼロ円だけど多くの人に注目されていてツイッターのフォロワーが100万人以上いる人が、何か事業をやりたいと考えたとします。すぐにタイムライン上で仲間を募り、クラウドファンディングを通して資金を募り、わからないことがあればフォロワーに知恵を借りられます。
Hiro
※これから先、個人が経済を自由に創ることができる、ということを知って驚きました。世の中はすごいスピードで進化しています。私は今までビットコインやブロックチェーンがなぜ世の中に出てきたのか全くわかりませんでした。でもこのお金2.0を読んでやっと理解できました。
Hiro
※今は経済の自由化が進行しているのです。国家や他人に縛られない新しい経済が動き出しています。自分たちの目的に合わせて経済を自由に作り出す、なんてすばらしいんでしょうか。民主主義は今までに王様や一部の特権階級の人が持っていた権力や知識などを一般の人々に与えて、人々を自由にしてきました。今回は、経済の番なのです。
フェイスブックのCEOであるザッカーバーグはハーバード大学でのスピーチでこんなことを語っていました。<今日、私は「目的」について話します。しかし「あなたの人生の目的を見つけなさいといった、よくある卒業式スピーチ」をしたいわけではありません。
私たちはミレニアル世代なんだから、そんなことは本能的にやっているはずです。そうじゃなくて、今日私が話したいのは「自分の人生の目標(意義)を見つけるだけでは不十分だ」ということです。僕らの世代にとっての課題は、「“誰もが”人生の中で目的(意義)を持てる世界を作り出すこと」なのです。(中略)この社会を前に進めること、それが僕ら世代の課題です。新しい仕事を作るだけじゃなくて、新しい「目的」を作り出さなくちゃいけない>
ミレニアル世代以前は足りないものがあって、それを埋めるために必死に頑張るという明確な方向性を持っていました。
ミレニアル世代は欠けているものがないので何をモチベーションに頑張ったら良いかわからない。だから、欠けているものはないけれど人の手によって人工的に「意義」や「目的」を作りだそうというのが、ザッカーバーグの主張です。
グーグルやフェイスブックなど、最近急激に大きくなった企業に共通しているのが、誰もが理解できる明確なミッションを掲げている点です。
グーグルは「世界中の情報を整理して誰もが利用できるようにする」こと、フェイスブックは「世界中の人々を繋げて、繋がりを密にする」こと。これらのミッションは社会の課題を解決するものであり、このミッションに取り組むことは、そこで働く社員にとっては働くための大きな意義になります。そして、今後は人生の意義や目的を他人に与えられることが経済的な価値として認識されるようになり、それを与えられる組織や人間が大きな力を持ち、社会を牽引していくことになるでしょう。
Hiro
※私は,これから先の世界がまったく読めません。テクノロジーとともに世界は激変していくでしょう,シンギュラリティーに向かって。
2.教育の未来について<お金2.0>を使って私が予想する
Hiro
<お金2.0>を読んで、教育制度の未来について当てはめてみたいと思います。教育はこれから先どうなっていくのでしょうか。テクノロジーはどんどん進化しています。教育の世界は明治時代からそんなに変わっていないと思いますが、黒板を使って、30人くらいの子ども達を前に教師が知識を教えようとしている。教えている内容といってもそんなに変わっていないような気がします。
Hiro
教育が変わるためのキーワードはもちろん「分散化」になるでしょうが、歴史を学ばないと未来は描けません。しかも,板倉さんにしても未来が描けなかったのだから教育の未来を予想するのはかなり難しいに違いありません。いや出来ないのかもしれません。そこをあえてやってみようと思います。
Hiro
教育の分散化ってなんだろう。どうなっていくことなのか。教育をする主体が国家から教育を受ける個人に移るということだろうか。それとも教師に教える自由が大幅に与えられることになるのだろうか。
Hiro
日本では明治5年の学制が始まったとき、教育は個人のためにすると謳われています。個人のために教育があるとなると、いろんな学校が認められるとうことでしょうか。あるいは,個人の自宅でも教育が可能になってくることでしょうか。逆に子ども時代の自由な時間が必要だと認められるようになって、学習の中に遊びや話し合いの時間が設けられるようになるかもしれません。
Hiro
授業内容としては、仮説実験授業がいろんな教科に応用されていて教師は教える教材研究から解放されて、教師と子ども、あるいは子どもと子どもの関わりを中心に据えた授業になっていくのでしょうか。
Hiro
一人の教師が担任として全ての教科を担当するのではなく、教科に応じて各教師が教えるようになるかもしれません。それもインターネットを使ってです。一人の超優秀な教師のビデオを全児童が視聴しているかもしれません。
Hiro
また,各学年で必ず学習する必修科目・内容があるものの,それ以外は、担任が自由に選べる裁量が大きくなるかもしれません。
Hiro
シンギュラリティーが起こり、人が生活のために働かなくてよくなったときに、教育のあり方がどう変わるのか、見てみたいです。
3.将来の教育におけるビジョンは何か?私が考える
Hiro
教育の民営化、企業による教育はありえるのでしょうか。
Hiro
シンギュラリティーが起こり、ベイシックインカムによってお金を稼ぐ必要がなくなり、国がなくなればありえるかもしれません。どこの学校で教育を受けるか、あるいは学校に行かないで自分で学ぶかを決められるようになるかもしれません。
Hiro
教育の中で中心になるのは、個人が幸せに生きるための技術(哲学)を学ぶような学校になるのかもしれません。その中には、もちろん科学、数学、日本語、外国語、歴史、コンピュータ(AI)、哲学(道徳)、芸術、スポーツはもちろん、お金の使い方などの経済や人間関係のあり方なども含まれてくると考えられます。偉人の生き方をその学年に合わせた教え方で教えているかもしれません。
Hiro
教育におけるビジョンは、今の私に考えられることは、ずばり<楽しさ>です。子ども達が<楽しい>と思えることが教育の中心になると思います。結局、板倉さんが言っていたことに落ち着くことになるでしょう。私は,これしかないと思います。
Hiro
Shige
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